なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ181 ねこの言葉

2018年10月21日 04時55分29秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第181回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

10月21日、日曜日です。


昨日長崎のお仕事を終えて東京までたどり着きました。
今朝はまだ東京です。
長崎ではいろいろな出会いをいただき、長崎ちゃんぽんも皿うどんもいただきました。
先週ここでちゃんぽんの話をしてしまったために、「ちゃんぽんは佐世保より長崎が本場ですからそちらで」とか、「明日の昼はちゃんぽんです」などと、ちゃんぽんの情報が駆け巡っていました。
いやあ、滅多なことを口にするものではありません。皆さんに気を遣わせてしまいました。
原爆資料館、平和公園にも連れて行っていただきました。
そのことについては来週お話しさせていただきます。

巡回中、法話の流れで連想ゲームのように佐野洋子のことが頭に浮かんできました。
エッセイストで絵本作家の佐野洋子です。
絵本の代表作は『100万回生きたねこ』。
エッセイでは、『がんばりません』『神も仏もありませぬ』『役に立たない日々』などを読みました。
2010年に乳がんで亡くなっています。
2004年にガンが発見され摘出手術を受けましたがその後転移が分かり、余命宣告をされます。
その時のエッセイが
「余命2年と云われたら十数年私を苦しめてきたウツ病が消えた。人間は神秘だ。人生が急に充実してきた。毎日がとても楽しくて仕方ない。死ぬとわかるのは自由の獲得と同じだと思う」というもの。
凄いですね。
実際、宣告後に貯金をはたいて白皮シートのジャガーを買ったのですから、言葉の通りだったのだと思います。
「死ぬとわかるのは自由の獲得と同じだと思う」と言い切れる生き方は凄いと思います。

因みに『100万回生きたねこ』の内容はご存知でしょうか。
100万回生きて100万回死んでまた生き返ってくるねこの話です。
いろんな人生?を生きてきました。
王様の飼いねこだったり、泥棒ねこだったり、野良ねこだったり。
その時々にねこを愛してくれるひとはいましたが、ねこ自身は誰をも愛してはいませんでした。
最後のねこの時、言い寄ってくる多くの雌ねこの外に自分を見向きもしない白い雌ねこがいました。
ねこは白ねこを愛しました。
こどもも生まれました。
その白ねこが死んでしまうのです。
ねこは泣きました。100万回泣きました。
そして自分も死んでいくのです。
愛を抱きしめて。
もう生き返ることはありませんでした。
というような内容でしたよね。

愛を知らない生は生きているとは言えなかったのです。
だから死ねなかったのでしょう。
生きているから死ぬのです。
死ぬから生きられるのです。
愛を知り、愛するものの死を知って、はじめて生きたのですね。ねこは。
生と死は表裏一体、紙の裏表。
死を通してしか生は見えてこないもののようです。
「死ぬとわかるのは自由の獲得と同じだと思う」という言葉は、ねこの言葉だったのかもしれません。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。