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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第192回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
1月6日、日曜日。
明けましておめでとうございます。
新年早々、熊本で大きな地震があったようですが、できれば、なるべくならば、災害や事故は少なく、世界中の人々にとって穏やかな一年になるよう祈らずにはおれません。
現実に合わせて真実を曲げてはならない。
本来あるべきようになければならない。
と、思います。
自衛隊が事実上の軍隊であったとしても、それに合わせて憲法を変えるというのはおかしな話です。
憲法は、この国のありようを定めたもので、それに沿って国を動かしていかなくてはならないものでしょう。
現実に合わせて憲法を変えるというのは本末転倒と言わなければなりません。
現憲法は、戦争の猛省から強く平和を希求したのであり、「平和憲法」と言われる所以です。
その前文には、
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」とあり、更には、
「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とあります。
それが「崇高な理想」であって、その理想に向かって国づくりをしようという意思が、戦後の日本の平和をつくってきたのでしょう。
本来あるべき国のありようを定めた憲法を変えることは、現実に合わせて真実を曲げることに他ならないと思います。
変えてはならない基本的なことと、現状に合わせた運用の変化とは分けて考えなければなりません。
またお寺の話ですが、
ある会合である和尚さんが、
「毎日坐禅をしている和尚なんてこの中には一人もいない」と言いました。
現実はそうかもしれません。
あるいは朝のお経、朝課もしない和尚さんがいるかもしれません。
たとえそれが普通であり、現実であったとしても、それでいいというわけにはいきません。
現実に合わせて真実を曲げるわけにはいかないのです。
毎日すべきことはすべきであり、真実に沿って生きようと努力することが仏法の中で生きるということでしょう。
一般的なことで言えば、
「家族葬」などというよく分からない言葉に流されて、親の葬式を簡単に済まそうなどという風潮はどうかと思います。
長い人生、家族の中だけで生きてきたわけではないでしょうに。多くの人と支え合い助け合って生きてきたご縁をなかったかのように閉じるのは寂しいことです。
本人の意思よりも、親の人生を称える子どもの気持ちの問題だと思われ、親子関係が良好であれば「簡単に」済ませられることはないと思われます。
すべきことはすべきなのです。
すべきことをした上で、現実に沿って柔軟に対応していくべきです。
柔軟な対応を優先して、すべきことをしない理由にしてはなりません。
真実に向かって現実をつくっていくということですね。
ま、自分もエラそうに言えた生活をしているわけではありませんが、正月ですし、一年の計として意思表示も込めて言わせていただきました。
仏教で「真実」は「絶対の真理」という意味になります。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第192回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
1月6日、日曜日。
明けましておめでとうございます。
新年早々、熊本で大きな地震があったようですが、できれば、なるべくならば、災害や事故は少なく、世界中の人々にとって穏やかな一年になるよう祈らずにはおれません。
現実に合わせて真実を曲げてはならない。
本来あるべきようになければならない。
と、思います。
自衛隊が事実上の軍隊であったとしても、それに合わせて憲法を変えるというのはおかしな話です。
憲法は、この国のありようを定めたもので、それに沿って国を動かしていかなくてはならないものでしょう。
現実に合わせて憲法を変えるというのは本末転倒と言わなければなりません。
現憲法は、戦争の猛省から強く平和を希求したのであり、「平和憲法」と言われる所以です。
その前文には、
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」とあり、更には、
「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とあります。
それが「崇高な理想」であって、その理想に向かって国づくりをしようという意思が、戦後の日本の平和をつくってきたのでしょう。
本来あるべき国のありようを定めた憲法を変えることは、現実に合わせて真実を曲げることに他ならないと思います。
変えてはならない基本的なことと、現状に合わせた運用の変化とは分けて考えなければなりません。
またお寺の話ですが、
ある会合である和尚さんが、
「毎日坐禅をしている和尚なんてこの中には一人もいない」と言いました。
現実はそうかもしれません。
あるいは朝のお経、朝課もしない和尚さんがいるかもしれません。
たとえそれが普通であり、現実であったとしても、それでいいというわけにはいきません。
現実に合わせて真実を曲げるわけにはいかないのです。
毎日すべきことはすべきであり、真実に沿って生きようと努力することが仏法の中で生きるということでしょう。
一般的なことで言えば、
「家族葬」などというよく分からない言葉に流されて、親の葬式を簡単に済まそうなどという風潮はどうかと思います。
長い人生、家族の中だけで生きてきたわけではないでしょうに。多くの人と支え合い助け合って生きてきたご縁をなかったかのように閉じるのは寂しいことです。
本人の意思よりも、親の人生を称える子どもの気持ちの問題だと思われ、親子関係が良好であれば「簡単に」済ませられることはないと思われます。
すべきことはすべきなのです。
すべきことをした上で、現実に沿って柔軟に対応していくべきです。
柔軟な対応を優先して、すべきことをしない理由にしてはなりません。
真実に向かって現実をつくっていくということですね。
ま、自分もエラそうに言えた生活をしているわけではありませんが、正月ですし、一年の計として意思表示も込めて言わせていただきました。
仏教で「真実」は「絶対の真理」という意味になります。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。