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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第193回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
1月13日、日曜日。
年末にパソコンの調子が悪くなって、一度出荷前の状態まで戻し、改めて設定をし直したりしてずいぶん時間を使いました。
パソコンを使っているというよりは、パソコンに使われていると思うことしきりでした。
もうパソコンを使わない生活というか仕事は考えられません。
かなりの部分をパソコンに頼っています。
何よりもまず、お寺の文書等事務関係はほとんどがパソコンで処理しています。
様々な案内文書、会計関係、過去帳管理、住所録、スケジュール、写真の管理等々。
寺以外でも、NGO関係、環境団体、宗門関係などの記録も入っています。
さらには、法話、講演、依頼された原稿もパソコンで書いています。
また、メール、ブログなどのネット関係ももちろんパソコンです。
それらが手元から消えるということは、自分のこれまでの仕事が全て消えてしまうかのような恐怖を感じたりします。
相手はたかがパソコンで、つまりは機械に過ぎないので、故障も不具合も起こってしまうのは当然なことです。
一旦不具合を起こしてしまうと、それを回復するまでにかなりの時間を消費し、便利な道具に頼っているツケを払わされるような感じです。
使い慣れてしまうととても便利な道具であるために依存してしまうパソコンですが、あまりに頼り切っていると、もうそれなしでは生きていけないような錯覚を起こしてしまうかもしれません。
もしパソコンに、アレやれ、コレやれと指示されたなら、その機嫌をとるために指示に従ってしまうこともあり得るのではないかと思います。
例えば若者がはまっているゲームなどです。
暇さえあればというか、暇をつくってまで没頭しているように見えます。
私も簡単なパズルゲームにはまったことがあります。今はもう飽きました。
子供だましのような単純なゲームでさえも、やり続けていくと、いや、やり続けたくなるように仕向けられているのですが、するとやがて課金を求めてくるようになります。
ここまでやってきたのだからここで止めてしまったらもったいないと思わせる手口が満載です。
ついつい一度課金をしてしまうと、それによって手にしたものの味が忘れられずにどんどんお金をつぎ込んでいくようになります。
中には、月に数十万円もつぎ込んでしまう子供もいるとか。
もう子供だましというようなレベルではありません。
ゲームをしているというよりは、ゲームに使われている、ゲームの奴隷状態になっている若者、あるいは大人が多いのではないでしょうか。
テレビのCMでゲームものが多いのは、それだけ利潤があるからでしょう。
パチンコやギャンブルであれば子供はダメというような規制がありますが、パソコンのゲームは野放しではないですか。
依存症にもなりそうですし、お金もかかるということであれば、何らギャンブルと変わりなく、しかも得るものは何もないという代物。規制しなくてもいいですかね。
しかも、気づかないうちに人生の時間をどんどん消費させられていくようなことは、重大な問題なのではないかと思います。
他人事ではありません。
自分自身、パソコンに使われているのではないかと思うことがあるのですから、気をつけなければなりません。
本当に大切なものは紙にして残せばいいし、住所録アドレスなどは生きていく上になくても支障はありません。文書も、自分で書いたものなら頭の中にあるはずだし、体験経験はパソコンには残っていません。
パソコンがなければ生きられないという思いこそが妄想であると気づいていたいと思います。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第193回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
1月13日、日曜日。
年末にパソコンの調子が悪くなって、一度出荷前の状態まで戻し、改めて設定をし直したりしてずいぶん時間を使いました。
パソコンを使っているというよりは、パソコンに使われていると思うことしきりでした。
もうパソコンを使わない生活というか仕事は考えられません。
かなりの部分をパソコンに頼っています。
何よりもまず、お寺の文書等事務関係はほとんどがパソコンで処理しています。
様々な案内文書、会計関係、過去帳管理、住所録、スケジュール、写真の管理等々。
寺以外でも、NGO関係、環境団体、宗門関係などの記録も入っています。
さらには、法話、講演、依頼された原稿もパソコンで書いています。
また、メール、ブログなどのネット関係ももちろんパソコンです。
それらが手元から消えるということは、自分のこれまでの仕事が全て消えてしまうかのような恐怖を感じたりします。
相手はたかがパソコンで、つまりは機械に過ぎないので、故障も不具合も起こってしまうのは当然なことです。
一旦不具合を起こしてしまうと、それを回復するまでにかなりの時間を消費し、便利な道具に頼っているツケを払わされるような感じです。
使い慣れてしまうととても便利な道具であるために依存してしまうパソコンですが、あまりに頼り切っていると、もうそれなしでは生きていけないような錯覚を起こしてしまうかもしれません。
もしパソコンに、アレやれ、コレやれと指示されたなら、その機嫌をとるために指示に従ってしまうこともあり得るのではないかと思います。
例えば若者がはまっているゲームなどです。
暇さえあればというか、暇をつくってまで没頭しているように見えます。
私も簡単なパズルゲームにはまったことがあります。今はもう飽きました。
子供だましのような単純なゲームでさえも、やり続けていくと、いや、やり続けたくなるように仕向けられているのですが、するとやがて課金を求めてくるようになります。
ここまでやってきたのだからここで止めてしまったらもったいないと思わせる手口が満載です。
ついつい一度課金をしてしまうと、それによって手にしたものの味が忘れられずにどんどんお金をつぎ込んでいくようになります。
中には、月に数十万円もつぎ込んでしまう子供もいるとか。
もう子供だましというようなレベルではありません。
ゲームをしているというよりは、ゲームに使われている、ゲームの奴隷状態になっている若者、あるいは大人が多いのではないでしょうか。
テレビのCMでゲームものが多いのは、それだけ利潤があるからでしょう。
パチンコやギャンブルであれば子供はダメというような規制がありますが、パソコンのゲームは野放しではないですか。
依存症にもなりそうですし、お金もかかるということであれば、何らギャンブルと変わりなく、しかも得るものは何もないという代物。規制しなくてもいいですかね。
しかも、気づかないうちに人生の時間をどんどん消費させられていくようなことは、重大な問題なのではないかと思います。
他人事ではありません。
自分自身、パソコンに使われているのではないかと思うことがあるのですから、気をつけなければなりません。
本当に大切なものは紙にして残せばいいし、住所録アドレスなどは生きていく上になくても支障はありません。文書も、自分で書いたものなら頭の中にあるはずだし、体験経験はパソコンには残っていません。
パソコンがなければ生きられないという思いこそが妄想であると気づいていたいと思います。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。