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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第197回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
2月10日、日曜日。
4日から、猿回しの親方に引き連れられて山口を回っていますが、12日までの予定を変更して今日山形に帰ります。
豚は猿になれませんでした。
8日間の内容がよく分からないまま山口入りしましたが、お話の会場が7カ所ということで準備してきました。
ところが実際に来てみると、その会場は2カ所だけで、あとは顔を出してお茶を飲んで挨拶するというようなことでこちらの受け止めとは違っていました。
高石ともやさんがインフルエンザで合流できないかったということもあるのかもしれませんが、山形の名も知らぬ和尚が来るからといって人が集まるわけではなかったのです。親方の思惑通りにはいかなかったということです。
そういうことであるならばと、雪と格闘する家族のことも心配ですから予定を切り上げて10日に帰らせてもらうことになったのでした。
猿ならば何も言わずに親方の言うとおりに与えられた場所で無心に務めるのだと思いますが、豚は、実は人間ですが、なかなか無心になれませんでした。
しかし、たくさんの出会いをいただきました。
シャンティの元スタッフが川上村という山奥に家族とともに住んでいて訪ねました。
廃校になった小学校が研修交流施設になっていて、そこの管理運営を担っているのですが、床が抜けるほど老朽化していて使える状態ではありません。
敷地内にあるコンテナハウスに泊めてもらいました。電気はあるものの水は沢水で手製の薪ストーブで暖をとり煮炊きをするという、テレビもない北の国からのような生活でした。
そのためでしょう、3人の子どもたちは昭和の田舎の子そのもので、懐かしく眺めていました。
ただ、この子たちが外の社会と接したときに、そのギャップに苦しまないかと心配をしながら別れてきました。
周防大島は民俗学者宮本常一の故郷で、その記念館を訪ね詳しい話を聞くことができました。日本全国を歩きながら人々の暮らしを克明に記録した足跡は知れば知るほどワクワクしてきます。
実は猿回しの親方村崎修二さんは、この宮本常一先生に見出されて本仕込の猿回しを復活させた、いわば親方の人生を変えたその人だったのです。
その晩は、岩国の「山賊」というとても有名な店、店というかアミューズメントパークのような場所に連れて行っていただき、親方につながる人たちと引き合わせていただきました。
錦帯橋の平成の架け替えを担った海老崎棟梁もいらして、時間を忘れて楽しく話をしました。その道を究めた人の話はとても引き込まれ勉強になります。
大島の久屋寺様では、涅槃会の法要に合わせてお話をさせていただきました。話を聴かれたお檀家の方からお土産に大きな晩白柚を頂戴しました。大島はみかんの島なのです。
そして昨日は、玖珂町の祥雲寺様でお話をしました。
檀家はたったの1軒。そして12年前にこのお堂を再建したのが錦帯橋を手掛けた海老崎棟梁だったのです。400万円の赤字を被ったと棟梁は笑っていました。
旧本堂は屋根が崩れるほどに老朽化していましたが、800年前の本尊薬師如来や千手観音など文化財の仏像が残されていて、それを何とか伝えていかなければならないと、たった1軒の檀家が立ち上がったのでした。
その夢に意気投合した棟梁と、地域の人々の願いのこもったたお堂でお話しさせていただいたことは何とも得難いご縁でした。
一昨日は、地域の小学3年生90名が寺を訪ねてきて、お檀家の尾崎さんとその仲間たちが、寺の仏像や宝物について丁寧に説明されていました。
地域の宝を後世に伝えていきたいという願いなのだと思いました。
今日の午前中、小学5年生の時からこの寺に出入りして、独学でお経を読むようになった高校生と会うことになっています。とてもお寺が好きなようです。どんな青年なのか、どんな話になるのか、楽しみです。
今週はここまで。また来週お訪ねください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第197回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
2月10日、日曜日。
4日から、猿回しの親方に引き連れられて山口を回っていますが、12日までの予定を変更して今日山形に帰ります。
豚は猿になれませんでした。
8日間の内容がよく分からないまま山口入りしましたが、お話の会場が7カ所ということで準備してきました。
ところが実際に来てみると、その会場は2カ所だけで、あとは顔を出してお茶を飲んで挨拶するというようなことでこちらの受け止めとは違っていました。
高石ともやさんがインフルエンザで合流できないかったということもあるのかもしれませんが、山形の名も知らぬ和尚が来るからといって人が集まるわけではなかったのです。親方の思惑通りにはいかなかったということです。
そういうことであるならばと、雪と格闘する家族のことも心配ですから予定を切り上げて10日に帰らせてもらうことになったのでした。
猿ならば何も言わずに親方の言うとおりに与えられた場所で無心に務めるのだと思いますが、豚は、実は人間ですが、なかなか無心になれませんでした。
しかし、たくさんの出会いをいただきました。
シャンティの元スタッフが川上村という山奥に家族とともに住んでいて訪ねました。
廃校になった小学校が研修交流施設になっていて、そこの管理運営を担っているのですが、床が抜けるほど老朽化していて使える状態ではありません。
敷地内にあるコンテナハウスに泊めてもらいました。電気はあるものの水は沢水で手製の薪ストーブで暖をとり煮炊きをするという、テレビもない北の国からのような生活でした。
そのためでしょう、3人の子どもたちは昭和の田舎の子そのもので、懐かしく眺めていました。
ただ、この子たちが外の社会と接したときに、そのギャップに苦しまないかと心配をしながら別れてきました。
周防大島は民俗学者宮本常一の故郷で、その記念館を訪ね詳しい話を聞くことができました。日本全国を歩きながら人々の暮らしを克明に記録した足跡は知れば知るほどワクワクしてきます。
実は猿回しの親方村崎修二さんは、この宮本常一先生に見出されて本仕込の猿回しを復活させた、いわば親方の人生を変えたその人だったのです。
その晩は、岩国の「山賊」というとても有名な店、店というかアミューズメントパークのような場所に連れて行っていただき、親方につながる人たちと引き合わせていただきました。
錦帯橋の平成の架け替えを担った海老崎棟梁もいらして、時間を忘れて楽しく話をしました。その道を究めた人の話はとても引き込まれ勉強になります。
大島の久屋寺様では、涅槃会の法要に合わせてお話をさせていただきました。話を聴かれたお檀家の方からお土産に大きな晩白柚を頂戴しました。大島はみかんの島なのです。
そして昨日は、玖珂町の祥雲寺様でお話をしました。
檀家はたったの1軒。そして12年前にこのお堂を再建したのが錦帯橋を手掛けた海老崎棟梁だったのです。400万円の赤字を被ったと棟梁は笑っていました。
旧本堂は屋根が崩れるほどに老朽化していましたが、800年前の本尊薬師如来や千手観音など文化財の仏像が残されていて、それを何とか伝えていかなければならないと、たった1軒の檀家が立ち上がったのでした。
その夢に意気投合した棟梁と、地域の人々の願いのこもったたお堂でお話しさせていただいたことは何とも得難いご縁でした。
一昨日は、地域の小学3年生90名が寺を訪ねてきて、お檀家の尾崎さんとその仲間たちが、寺の仏像や宝物について丁寧に説明されていました。
地域の宝を後世に伝えていきたいという願いなのだと思いました。
今日の午前中、小学5年生の時からこの寺に出入りして、独学でお経を読むようになった高校生と会うことになっています。とてもお寺が好きなようです。どんな青年なのか、どんな話になるのか、楽しみです。
今週はここまで。また来週お訪ねください。