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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第231回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
10月6日、日曜日。
おはようございます。
今朝は金山町、ホテルシェーネスハイム金山からお送りしています。
一部
昨日は高校のクラス会で金山に来ています。
このところ、クラス会同級会のたぐいが頻繁ですね。
そういう年ごろなのか、定年を迎えて時間の余裕が出た人もいるだろうし、一線を退いて主役の座を譲り、その寂しさから郷愁を感じる人もいるのでしょうね。
今回20名が参加ということで、約半分のクラスメイト(古い!なんか気恥ずかしい)が集まるにはそれなりの思いがあるのだと思います。
確かに、我がクラスは高校時代から仲が良く、卒業してからも楽しく集まる機会が何度もありました。青春時代のいい時期をいい仲間と過ごせたのは幸せなことだったと振り返ることができます。
シェーネスハイムには先週の日曜日にも来ました。
こちらは、金山在住の中学同級生がプロモートして、東京新橋のフォーク酒場『落陽』を金山に呼んだのでした。
同級生が頑張っているので応援に行くべということで4人で出かけました。
会場から歌いたい人がステージに上がり、その場で生バンドと音を合わせて歌うという形式で、その名前からも分かるように、我々が青春時代に歌ったフォークソングが次々と出てくるものだから、みんなが声を合わせたり、踊ったり、拳を突き上げたりと大変な盛り上がりでした。
歌がつなぐ年代というものが確かにありますね。
二部
10月に入りましたが、今月はいろいろな用事が入っています。
クラス会もそうですが、大きなところでは北海道の布教巡回が13日から8日間、26日から松林寺の伊勢神宮参拝の旅が入っています。
他には、観光つや姫大使10周年感謝の集い、新潟からやってくるお寺の檀家さんへの法話、中学同級会の相談を兼ねてのもちの食べ比べ、最上エネルギー地産地消研究会のバーべキュー例会などなどです。
出かける予定ではありませんが、11月の南米布教のための原稿作成が佳境を迎えています。
現地ポルトガル語とスペイン語の通訳が入るので事前に何本かの原稿を送っておかなくてはなりません。
これまで、メモ程度の準備はしてきましたが、全文原稿は初めてなので時間がかかっています。頭を使って痩せる思いです。痩せないけどね。
そこで気になるのは、先週お伝えしたように、今月は「続減量強化月間」なのですが、これだけ出かけることや集まりがあって目標を達成できるかということです。
家にいるときはほとんど絶食しないと達成は無理かもしれません。果たして。
三部
やがてみんな死ぬというのは、ある意味安心ではあります。
死ぬ人と死なない人がいるのであれば、それは死にたくないと思うかもしれませんが、全員死ぬのですから自分だけではないので安心してその時を待てばいいと言えます。
自分が好きな人も死にますが嫌いな人も死にます。
いなくなってせいせいしたと思う人もいたでしょう。
生まれることを選べなかったぐらいに死ぬことは選べません。
自分がどんな風に死ぬのかはその時になってみないと分かりません。
自分が死んだことを分かる人はいませんから、分かるのは「死ぬのかもしれない」ということだけです。
眠っているうちに死ぬ人は「死ぬのかもしれない」ということすら気づかずに死ぬのかもしれませんし、「死ぬのかと思ったけど生きていた」という人もいて、結局死ぬかどうかは自分には分からないことです。
知らないうちに生まれてたように、いつの間にか死んでいくのでしょう。
だとすれば、そんなことは命にお任せする以外になく、そんなことを気にかけるよりも、今日どう生きるかを一生懸命考える以外にありません。
たとえ寝たきりの中でも、寝たきりの今日をどう生きるかを考えることはできるでしょう。
厳密に言えば、「今日」というのは朝起きて夜寝るまでの間という元気な人の設定ですから、時間の感覚がなく、朝か夜かいつ起きたかいつ寝たか分からない状態の人に「今日」というのは酷な話です。
だからその場合は、今目覚めている間ということになるでしょう。
その時に自分は何を考え、何をしようとするのか、ある意味楽しみでもあります。
その時にできることを今から考えておきましょうか。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第231回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
10月6日、日曜日。
おはようございます。
今朝は金山町、ホテルシェーネスハイム金山からお送りしています。
一部
昨日は高校のクラス会で金山に来ています。
このところ、クラス会同級会のたぐいが頻繁ですね。
そういう年ごろなのか、定年を迎えて時間の余裕が出た人もいるだろうし、一線を退いて主役の座を譲り、その寂しさから郷愁を感じる人もいるのでしょうね。
今回20名が参加ということで、約半分のクラスメイト(古い!なんか気恥ずかしい)が集まるにはそれなりの思いがあるのだと思います。
確かに、我がクラスは高校時代から仲が良く、卒業してからも楽しく集まる機会が何度もありました。青春時代のいい時期をいい仲間と過ごせたのは幸せなことだったと振り返ることができます。
シェーネスハイムには先週の日曜日にも来ました。
こちらは、金山在住の中学同級生がプロモートして、東京新橋のフォーク酒場『落陽』を金山に呼んだのでした。
同級生が頑張っているので応援に行くべということで4人で出かけました。
会場から歌いたい人がステージに上がり、その場で生バンドと音を合わせて歌うという形式で、その名前からも分かるように、我々が青春時代に歌ったフォークソングが次々と出てくるものだから、みんなが声を合わせたり、踊ったり、拳を突き上げたりと大変な盛り上がりでした。
歌がつなぐ年代というものが確かにありますね。
二部
10月に入りましたが、今月はいろいろな用事が入っています。
クラス会もそうですが、大きなところでは北海道の布教巡回が13日から8日間、26日から松林寺の伊勢神宮参拝の旅が入っています。
他には、観光つや姫大使10周年感謝の集い、新潟からやってくるお寺の檀家さんへの法話、中学同級会の相談を兼ねてのもちの食べ比べ、最上エネルギー地産地消研究会のバーべキュー例会などなどです。
出かける予定ではありませんが、11月の南米布教のための原稿作成が佳境を迎えています。
現地ポルトガル語とスペイン語の通訳が入るので事前に何本かの原稿を送っておかなくてはなりません。
これまで、メモ程度の準備はしてきましたが、全文原稿は初めてなので時間がかかっています。頭を使って痩せる思いです。痩せないけどね。
そこで気になるのは、先週お伝えしたように、今月は「続減量強化月間」なのですが、これだけ出かけることや集まりがあって目標を達成できるかということです。
家にいるときはほとんど絶食しないと達成は無理かもしれません。果たして。
三部
やがてみんな死ぬというのは、ある意味安心ではあります。
死ぬ人と死なない人がいるのであれば、それは死にたくないと思うかもしれませんが、全員死ぬのですから自分だけではないので安心してその時を待てばいいと言えます。
自分が好きな人も死にますが嫌いな人も死にます。
いなくなってせいせいしたと思う人もいたでしょう。
生まれることを選べなかったぐらいに死ぬことは選べません。
自分がどんな風に死ぬのかはその時になってみないと分かりません。
自分が死んだことを分かる人はいませんから、分かるのは「死ぬのかもしれない」ということだけです。
眠っているうちに死ぬ人は「死ぬのかもしれない」ということすら気づかずに死ぬのかもしれませんし、「死ぬのかと思ったけど生きていた」という人もいて、結局死ぬかどうかは自分には分からないことです。
知らないうちに生まれてたように、いつの間にか死んでいくのでしょう。
だとすれば、そんなことは命にお任せする以外になく、そんなことを気にかけるよりも、今日どう生きるかを一生懸命考える以外にありません。
たとえ寝たきりの中でも、寝たきりの今日をどう生きるかを考えることはできるでしょう。
厳密に言えば、「今日」というのは朝起きて夜寝るまでの間という元気な人の設定ですから、時間の感覚がなく、朝か夜かいつ起きたかいつ寝たか分からない状態の人に「今日」というのは酷な話です。
だからその場合は、今目覚めている間ということになるでしょう。
その時に自分は何を考え、何をしようとするのか、ある意味楽しみでもあります。
その時にできることを今から考えておきましょうか。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。