なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ236 意味のないものなどない

2019年11月10日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第236回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

11月10日、日曜日。

一部
今日は娘の結婚式です。
長女ですが次女が先に結婚しているので、これで三人片づいたことになります。
親としては責任を果たしたような解放感があります。
相手はお坊さんではありませんが、宿用院で仏前の挙式です。式師は新郎の菩提寺の和尚さんが務めてくれます。
いろんな縁が重なって人は結ばれるものと感じました。
昨日はお手伝いもお願いして、総出で会場の掃除、準備。万端整いました。
二人の門出を心から祝います。

最近、自分の妻を「嫁」と呼ぶ慣例が気になっています。
「嫁」は、辞書を見ても第一義的には「息子の妻」というのが本来の使い方で、家の中での位置づけという意味合いでした。
上方漫才の「ホナ、キミんとこの嫁はんはナニかい…」みたいな使い方が震源地なのかもしれないと思いますが、東日本でも「オレの嫁」みたいな使い方が流行ってきている感じです。
しかし、それは間違った使い方なので好きではありません。
ある時、年回忌正当の案内を差し上げたところ「〇〇〇〇(死亡時の戸主名)嫁」とあるのをその家の方が見て「義母はまだ死んでません」と抗議されたことがありました。
その場合、戸主の次男の妻が若くして亡くなったのでそういう書き方をしたのであって、戸主の奥様なら「妻」と書きます。
正式な言葉の使い方も、流行りの使い方で誤解を受け、抗議を受けることになります。
立派な大人でもそんな間違った受け止め方をしてしまっているのは残念なことです。

二部
7日木曜日、丸森町、相馬市を訪れました。
台風19号、21号による被害が日本各地に発生し、ボランティアが活動を開始しましたが、報道の偏りによりボランティアの集まりにも偏りが出ています。
丸森町は、宮城県内でも大きな被害を受けた町で、1ヵ月近く経った今も床下の泥だしボランティアを待っている状況です。
ボランティアセンターを訪ねると、その前の広場は被災廃棄物がうず高く積まれ、次々とトラックが新たな廃棄物を運んできました。
センターの受付で話を聞くと、まだまだボランティアの数が足りず、泥かき物出しの支援の手を待っていると。ボランティアの受付は来年3月末までを考えていますとのことでした。
これは長期戦になりますが、できれば雪の前に片付けが終わり、安心した状態で年が越せればと願います。
相馬市では、すでに先月末でボランティアの受け入れを止めてしまっています。支援のニーズがないわけではありません。特に高齢者の家では、若い手を借りなければ片付けは一歩も前に進みません。市民の怒りの声を聞きました。
地域により、自治体によっても対応はまちまちです。しかし被災された家はどこも同じです。
ニュースという性格上、新しいもののみを追って変化のない情報は報道されません。変わらないこと事態が問題なのに、報道されないために支援の手が集まらないというのがこういう現場での悩みです。
支援は「かわいそう」だから必要なのではなく「困っている」から必要なのです。報道に惑わされず、何が必要なのかを判断していかなければなりません。
山形曹洞宗青年会の若い和尚さんたちが継続して支援に入ってくれているようです。これからもお願いします。
現場からは「一人でも、一日でもいいので」という悲痛な声が上がっています。お力とお心がある方は是非出向いてみてくれませんか。
道路の泥を集めている外国人の家族がありました。有給休暇などを利用して支援活動をするのは、心のリフレッシュにもなると思います。人を救うことは自分を救うことですから。

三部
同じ7日の晩、南相馬で希望舞台の『釈迦内柩唄』を観ました。
最上町での公演を検討しましたがなかなか難しく、せめて観るだけでもと思い出かけたのでした。
朝日座という、戦後一世を風靡した映画館での上演で、ほとんど風前の灯火のような会場ですが、南相馬の文化遺産を守ろうとしている人々がいて、今回の会場となりました。
実行委員会代表の同慶寺田中徳雲師は、「この時期に、この場所で、この舞台が上演されるというのは、その必要があったということでしょう」と挨拶で言われました。
そういうことなのだろうと、得心しました。
人やものごとは、その必要があってそこに存在する。意味のないものなどない。
自分がここに存在する意味は何か。今、自分の力は何のために必要とされているのか。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。