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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第239回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
12月1日、日曜日。
今週もブラジル、サンパウロからお送りします。
南半球は現在夏に向かう季節で、ブラジルもさらにはパラグアイはとても暑いと聞いていましたが、雨が降ったりでそれほど気温は上がっていません。朝晩は肌寒いほどです。
今は現地時間で30日の夕方5時です。
さて、こちらに着いてからサンパウロ佛心寺の60周年記念法要が勤まり、終わって25日パラグアイに向かいました。
途中、世界遺産イグアスの滝に連れて行ってもらいました。
ここのところ干ばつで水量が少ないということでしたが、それでもその規模と迫力は世界一の滝と称されるだけのことはありました。
ある時アメリカ大統領夫人がここを訪れ、思わず「ナイヤガラがかわいそう」と言ったとか。それほどの規模です。
25~27日、パラグアイ、イグアス市拓恩寺では新住職就任の晋山結制が挙行されました。
10年前に機縁があって、「パラグアイに最初の仏教寺院を」という思いに共感した日本人僧侶、現地日系の人々が力を合わせてこの寺ができました。そしてこの度新住職が誕生し晋山式を迎えたというわけです。
当日の法要も残すところあと一つとなった夕方、雷が鳴りだし大粒の雨が降ってきました。日照りが続き、農作物への影響を心配していた農家にとって、まさに甘露の法雨、恵みの雨となったのです。
地元の人々は「これだけ大勢の日本人僧侶がやってきて祈祷してくれたおかげだ」と大いに喜びました。
パラグアイへの日本人移民が始まったのは83年前、イグアスへの入植は58年前のこと。
現在、市の人口が12000人で日系人が約1000人。その多くが日系人居住地に住んで大豆を中心とした農業を営み、日本の文化と生活習慣が今も生きています。言葉も日本語が完璧に通じ、農協のスーパーには何でも売っています。
法要が終わって祝宴が行われたとき、たまたまテーブルで向かい合ったおじいさんの言葉になまりがあったので「お父さん出身はどこ?」と聞くと「山形だ」と。
「山形のどごよ」「東根」「なんだ、俺も山形だ、最上まぢ」「なえだ、山形弁なづがすいなー」と、手を取り合って語り合いました。
聞けば、昭和31年、25歳で希望を抱いてこの地に渡ったと。入植地は別のところだったが、原生林の大木を切り倒すことから始まる開拓は困窮を極め、小川のそばにテントを立てて川の水を飲んで暮らしていた。
3割の家族は耐えられずに他へ移ったり日本に帰国したりした。
ここに移ってからは割と安定した生活ができるようになった。
そんな苦労話を顔をくしゃくしゃにしながら話してくれた。
別れ際、「地球の裏側で頑張っているおれのごどを覚えでおいでくれ」と手を握りしめた言葉が印象的だった。
あなたの笑顔とゴツゴツした手のひらは、決して忘れませんよ、石井さん。
サンパウロに戻り、翌28日は佛心寺で毎月末の木曜日恒例の「施食会」でした。
法要というよりも、いわゆる炊き出しで、12時に梵鐘が鳴り門が開かれると行列を作って待っていた地域の人々が本堂に入り、観音様に手を合わせて焼香をしてからカレーライスを受け取り、その場で食べるというもの。
その間、待っている間に書いた願い事の紙を導師が読み上げ、1時間にわたり読経するというやり方でした。
障害のある方や生活困窮者などもいて、毎月この日を楽しみにしているとのこと。
寺の婦人会の方々が食材の買い出しから調理までボランティアで参加して、約300食を作るとのことでした。
寺の開放と布教そして福祉活動を同時に成し遂げているこの活動は素晴らしいと感嘆しました。
昨日の夜は小さな禅道場での坐禅会。
住宅をお寺に仕立てた作りで、狭いけれど景観も良く、おしゃれな禅堂でした。
15分の坐禅とお話、それから質疑応答と続き、皆さんまじめで、穏やかで、静かな時間を共有できました。
地球の真裏でも、同じ大地の上に坐っているんだなと不思議な感慨がありました。
今晩、もう1か所の禅堂でお勤めして、明日帰国の途に就きます。
こちらを発つのは現地時間1日の朝ですが、メキシコ経由で日本に着くのは3日の朝です。
オブリガード!ありがとうブラジル。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第239回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
12月1日、日曜日。
今週もブラジル、サンパウロからお送りします。
南半球は現在夏に向かう季節で、ブラジルもさらにはパラグアイはとても暑いと聞いていましたが、雨が降ったりでそれほど気温は上がっていません。朝晩は肌寒いほどです。
今は現地時間で30日の夕方5時です。
さて、こちらに着いてからサンパウロ佛心寺の60周年記念法要が勤まり、終わって25日パラグアイに向かいました。
途中、世界遺産イグアスの滝に連れて行ってもらいました。
ここのところ干ばつで水量が少ないということでしたが、それでもその規模と迫力は世界一の滝と称されるだけのことはありました。
ある時アメリカ大統領夫人がここを訪れ、思わず「ナイヤガラがかわいそう」と言ったとか。それほどの規模です。
25~27日、パラグアイ、イグアス市拓恩寺では新住職就任の晋山結制が挙行されました。
10年前に機縁があって、「パラグアイに最初の仏教寺院を」という思いに共感した日本人僧侶、現地日系の人々が力を合わせてこの寺ができました。そしてこの度新住職が誕生し晋山式を迎えたというわけです。
当日の法要も残すところあと一つとなった夕方、雷が鳴りだし大粒の雨が降ってきました。日照りが続き、農作物への影響を心配していた農家にとって、まさに甘露の法雨、恵みの雨となったのです。
地元の人々は「これだけ大勢の日本人僧侶がやってきて祈祷してくれたおかげだ」と大いに喜びました。
パラグアイへの日本人移民が始まったのは83年前、イグアスへの入植は58年前のこと。
現在、市の人口が12000人で日系人が約1000人。その多くが日系人居住地に住んで大豆を中心とした農業を営み、日本の文化と生活習慣が今も生きています。言葉も日本語が完璧に通じ、農協のスーパーには何でも売っています。
法要が終わって祝宴が行われたとき、たまたまテーブルで向かい合ったおじいさんの言葉になまりがあったので「お父さん出身はどこ?」と聞くと「山形だ」と。
「山形のどごよ」「東根」「なんだ、俺も山形だ、最上まぢ」「なえだ、山形弁なづがすいなー」と、手を取り合って語り合いました。
聞けば、昭和31年、25歳で希望を抱いてこの地に渡ったと。入植地は別のところだったが、原生林の大木を切り倒すことから始まる開拓は困窮を極め、小川のそばにテントを立てて川の水を飲んで暮らしていた。
3割の家族は耐えられずに他へ移ったり日本に帰国したりした。
ここに移ってからは割と安定した生活ができるようになった。
そんな苦労話を顔をくしゃくしゃにしながら話してくれた。
別れ際、「地球の裏側で頑張っているおれのごどを覚えでおいでくれ」と手を握りしめた言葉が印象的だった。
あなたの笑顔とゴツゴツした手のひらは、決して忘れませんよ、石井さん。
サンパウロに戻り、翌28日は佛心寺で毎月末の木曜日恒例の「施食会」でした。
法要というよりも、いわゆる炊き出しで、12時に梵鐘が鳴り門が開かれると行列を作って待っていた地域の人々が本堂に入り、観音様に手を合わせて焼香をしてからカレーライスを受け取り、その場で食べるというもの。
その間、待っている間に書いた願い事の紙を導師が読み上げ、1時間にわたり読経するというやり方でした。
障害のある方や生活困窮者などもいて、毎月この日を楽しみにしているとのこと。
寺の婦人会の方々が食材の買い出しから調理までボランティアで参加して、約300食を作るとのことでした。
寺の開放と布教そして福祉活動を同時に成し遂げているこの活動は素晴らしいと感嘆しました。
昨日の夜は小さな禅道場での坐禅会。
住宅をお寺に仕立てた作りで、狭いけれど景観も良く、おしゃれな禅堂でした。
15分の坐禅とお話、それから質疑応答と続き、皆さんまじめで、穏やかで、静かな時間を共有できました。
地球の真裏でも、同じ大地の上に坐っているんだなと不思議な感慨がありました。
今晩、もう1か所の禅堂でお勤めして、明日帰国の途に就きます。
こちらを発つのは現地時間1日の朝ですが、メキシコ経由で日本に着くのは3日の朝です。
オブリガード!ありがとうブラジル。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。