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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第241回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
12月15日、日曜日。
一部
今年もあと半月となりました。
そんなことを言いながら、何かバタバタ慌ててるわけではありません。
時間を惜しむように思索にふけっているわけでもありません。
ボンヤリ時を過ごしたり、グダグダしながら無為の時間を費やしているだけだけです。
時間が過ぎるということを、なかなか緊張感をもって感じることはできません。
言葉だけで焦っているように嘯いているだけです。
それが、本当に目の前に期限が迫ってきたなら、あの時もう少し時間を無駄なく過ごせばよかったと後悔することになるだろうことも予測しながら、それでもボンヤリしてしまいます。
60歳を寿命と定めて緊張感をもっていのちを見つめた季節もありました。それもなんなく過ぎてしまえば、若気の至りのような気恥しさが残るだけです。
人間てマジで愚図ですね。
絵本作家佐野洋子が、余命宣告を受けて発した言葉『2年と言われたら人生が急に輝きだしてきた。死ぬと分かるのは自由の獲得と同じだと思う』という目の覚めるような気持になれるのは、実際に権威のある人から証拠を示して迫られないと無理なのでしょうね。
嘘でもいいから誰か余命宣告をしてくれないだろうかと思ったりしますが、嘘だと疑う時点でもう効果はないでしょう。
二部
谺(こだま)雄二という人をご存知でしょうか。
詩文集『死ぬふりだけでやめとけや』を読んでいます。
ハンセン病後遺症を刻んだ相変わらずの私の顔だが
目の当たりにするとやはりギョッとする
だがしかしこの顔に
時に滴る汗には父から受け継いだ匂いがし
一つだけの瞳には同病の母の最期が妬きついている
両親の慈愛と悲哀とが交々こもるこの顔
この顔ゆえにまた今日まで生きて来れたといえる
かつて「らい」と呼び「民族浄化」の名において
国家は患者の強制隔離撲滅政策をおし進めた
戦後民主主義下での完治薬出現も意に介せず
それは強行され続けたのだ
もはや国家に刃向かうしかなかった
私のこの顔は「鬼の顔」になり
人間のふるさと探しの「長い旅」に出た (2012年「ここに生きる」)
1932年東京生まれ。7歳でハンセン病が発症、母と兄を同病で亡くします。「隔離政策」の下、多摩全生園と草津の栗生楽泉園で人生のほとんどを過ごします。
戦後プロミンができてハンセン病は完治していきます。しかし、それでも「らい予防法」は残り、偏見と差別も引き継がれ、後遺症である顔の変形も治ることはありませんでした。
詩人であり、国家の差別政策と闘う闘士。2014年この本ができた2か月後に82歳で亡くなっています。
「俺は鬼だ、国によって追いやられている鬼だ、人間に疎まれて桃太郎に征伐される鬼だ、ここは桃太郎に宝物を奪われる鬼たちの島だ。しかし、鬼はいったい何をしたというんだ?鬼は人間社会に悪いことをしたか?桃太郎の昔話にもそんなことはどこにも書いていない。われわれは何も悪いことをしていない、なのに鬼が島に追われた鬼なんだ。療養所は今でも鬼が島なんだ。」(「鬼になる」)
うかつに感想は言えません。
あまりに重く、あまりに痛く、あまりに熱い。
しかし、読んでよかった、知ってよかったと思います。私の命の中で、熟成され発酵していくと思います。
この本、買ってからしばらく手に取っていませんでした。おそらく5年。その時間の置き去りを悔やみます。
カン カン カン カン 鉦たたけ
どうせ 行き場が ねェんなら
ぢいさまよォ 死ぬふりだけで やめとけや
オレたちが この世から 滅べば
汚点(しみ)が消えたと 笑うやつらが いる
笑わせて たまるか 生きてやれ (1969年「死ぬふりだけでやめとけや」)
三部
やるべき時にやるべきことをやらないと、後に悔やむことになります。
あなたが、あなたの残りの時間を、最期に振り返って、貴重な時間だったと思えることを祈ります。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。