なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ266 予定を入れよう

2020年06月07日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第266回。6月7日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
3日宿用院で葬儀
4日同級生との飲み会
5日松林寺葬儀、シャンティZOOM会議
6日仲間のBBQ
というような1週間でした。

6月に入り、そろそろ動き出した感じですね。
何か予定があると、どんなことでもワクワクします。
どんなに楽しいことも、時間が経てばその日は確実にやってきてあっという間に過ぎ去っていきます。終われば寂しさが残ります。
楽しいのはその当日よりもそれを待つ時間の方、楽しみを待つ時間が一番ワクワクするのではないでしょうか。
自宅待機の状況の中で、何もすることがない空虚な日々を過ごしました。
しなければならないことの中から優先順位をつけるよりも、何をすればいいのか探す方がつらいですね。
こういう時だからできることを、とは言うけれど、したくないことは気が進まないし、したいこと楽なことに流れてしまいます。
しなければならいことがある方が私にとっては楽でしたね。
近年は年間約50回ほどの法話や講演が入っていましたが、今年は全滅ですね。その分の減収もあります。

老人になっていくというのは、特に男性の場合、するべきことがどんどんなくなっていき、何をすればいいのか分からずにボーっとしている間に何をする気力もなくなっていくということかと思いました。
だとすれば、どんな些細なことでも予定を立て、その日を待つというのがいいように思います。
ちょっと遠くまで買い物に行くとか、久しぶりな誰かと会うとか、映画を見に行く、何でもいいと思います。必要なのは予定です。ワクワク感です。カレンダーに予定を書き込みましょう。

風呂での水没があってから、母親が変わってしまいました。
はじめ、もう風呂に入るのが怖いから入らないと言うので、介護認定をしてもらいデイサービスで風呂に入れてもらおうとしました。
行きたくないというのをなだめすかして試しに行ってみればと無理やり押し込むように連れて行ってもらいました。
それが一度きりでした。
認知症がないわけではありませんが意思はむしろ前よりも固く、だまして行かせるような状態ではありません。
保育所の先生をやっていたのだし、社交性は人よりもあるはずだし、みんなの中に入って楽しく過ごせるのではないかと思っていましたが、逆でした。プライドが許さないのかもしれません。
風呂も自分で入ると言い出し、危なげながらそれは何とかクリアしています。
足の運びが極端に衰えてきました。
寝たきりになりたくない、施設にやられたくないという思いか、ずっと以前からまめに散歩をして、朝のテレビ体操をしていましたが、それでも歩くのがおぼつかなくなってきました。
寺の中は歩いています。あちこちに手すりをつけました。ゆっくりですが一日何度もぐるぐる廻っては仏像のある所で手を合わせます。
ようやく外にも出はじめました。外でも仏像に向かっては手を合わせています。寺の周りを回って目についた草など取っています。去年までは雪解けを待つようにして毎日草むしりしていたのがウソのようです。
会話が極端になくなりました。
食事の後も食卓に残り家族と一緒にいるのですが、自分から何か話すことはほとんどなくなりました。笑顔も少なくなりました。
以前は誘われるとどこにでも一緒に行き、出かけるのが好きなのだと思っていましたが、もうどこにも行きたくない、姉のところにも、食事にも、病院にも行きたくないと拒否します。自分の部屋でゴロゴロしているのが一番いいと言うばかりです。
そんなことでは認知症が進むばかりではないかと思うのですが、意思はなかなか固いのです。
母にとってもう何も予定などいらないということでしょうか。
3月初め、風呂に沈んでその時に何かねじを1本落としたのではないかと思うばかりです。

若いからといって明日の命があるという保証は誰にもありません。
寝たまま命が絶えることもありますし、命があっても体が動かせないことだって起こります。
そんなことはもう日常茶飯事でしょう。
予定が要らなくなる事態もやって来るのです。
予定がある、予定が立てられるうちに、やるべきこと、やりたいことをやりましょう。
もう充分屈んだのですから、あとは高く跳ぶばかりです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。