三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第267回。6月14日、日曜日。
まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
11日木曜日、葬儀
13日土曜日、松林寺大般若(内献)と総代会
というような1週間でした。
本来ならこの1週間は1年で一番忙しい週になるはずでした。
6月第1日曜は松林寺集中講座、第2土曜は大般若会というのが恒例行事です。
集中講座はチラシもできて、実行委員会を開く直前で中止を余儀なくされました。
町で出会う人から「今年はいつですか」と声をかけられます、みんな楽しみにしてくれていました。
大般若会も中止ですが、祈祷札は配らなければならないので、予定通りの日に住職・副住職と総代さん方だけで内献で勤めました。「疫病収束、厄災消除、万民安寧、諸縁吉祥」を祈りました。
朝の連ドラはBSPで観て、そのまま次の番組を観ています。
8時の月曜日は「ワイルド・ライフ」で、生き物の貴重な映像を楽しみにしています。
鳥の求愛ダンス、昆虫の擬態、動物の過酷な子育てなどに感動を覚えます。
生きることは食べることで、当然食べるものと食べられるものがいます。
草食動物は草を食べ、肉食動物は草食動物を食べます。
弱いものから見るとなんと残酷のように見えてしまいますが、強いものも決して安泰ではありません。
百獣の王といわれるライオンですが、王と呼ばれながらその生態はなかなかの厳しさです。
人間の王様のように、かしずき食料を差し出す者はありません。自分の力で食べて生きていかなければなりません。
オスどうしの争いがあります。強いからといって簡単に獲物にありつけるわけではありません。弱ったライオンはいつもハイエナが狙っています。そしてやがて死に食べられていきます。残った死骸にはハゲタカや鳥などが集まってきます。
命は循環していくものです。
生物が海から上陸して4億年、命の循環を繰り返してきました。
以来無数の個体が生まれ死んでいきました。その死骸は全部食べられてきたのです。
動物が食べ、鳥や昆虫が食べ、微生物が食べ植物が吸収してきました。終いには骨さえも形をなくしてしまいます。
排泄物も同じです。
想像してみてください。
全ての命の排泄物が何らかの命に食べられずそのまま残っていたとしたら。地球はウンコの星になっていたでしょう。海はウンコでつまっていたに違いありません。人間は生まれなかったでしょう。「地球は臭かった」という宇宙飛行士さえ現れません。
今こうやって、空気がうまいだとか、緑が美しい、海が青い、などと言っていられるのは、命の循環の現れです。
命は循環し、循環して全ての命は生きているのです。全ての命というよりも、全体で一つの命ととらえた方がいいでしょう。
「地球上で命はたった一度しか生まれていない、そして一度も死んでいない」というのが自然科学の常識だという話を聞いたことがあります。
一つの細胞が分裂を繰り返して全ての命に分かれ、生存を終えた個体は分解され次の個体に生き続ける。それが命のありようだというのです。
なので、無駄の無意味の命は何一つなく、全ては全てがつながった大きな命の一部なのだというとらえ方です。
まさに「不生不滅」であり、「不増不減」で満ち満ちています。
ですから時々思います。
別の命に喰われるとき、その命は恍惚を感じているのではないかと。
ライオンから首に喰いつかれたガゼルが、体は命の本能として抵抗しながらも、精神は、遠のいていく意識の中で恍惚を感じていることはないのかと。思い込み過ぎるでしょうか。
小さいころから、大蛇に飲み込まれる妄想にとらわれてきました。
前世、あるいははるか昔は小ネズミだったのではないかと思うときもあります(小ブタでもいいのですが)。蛇が身の毛がよだつほど嫌いな理由はそのせいではないかと思ったりします。
今のこの体でも飲み込むような大蛇が現れて大きな口で噛みつかれる。そしてゆっくりゆっくり、関節をはずされながら頭から口の奥へと飲み込まれていく。その刹那、為す術なく身をまかせ、命が命に取り込まれる摂理を、エクスタシーと感じることはないだろうか、と。
あるいは私一人の願望に過ぎないのだろうか。
生まれたものは必ず死んでいく。
しかしそれは個体として見た姿であり、命の全体を見た場合、命は命に取り込まれて、というよりも元に戻って生き続けるのです。
恍惚のイメージ、同感していただけますか。
死ぬことは悪ではありません。死ぬのではなく帰るのです。お骨も土に帰すべきです。
影も形もなくなるということは、別の命の中に全てが取り込まれたということですから、安心していいことです。死骸が残ったままでは死んだままということになります。
死の恐怖を取り除くことで今の生に集中することが大事です。
因みに、予定日ジャストの昨日の午前3時、娘が無事女児を出産しました。「ハイパー安産だ」と言われたようです。また一つ命がつながりました。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
11日木曜日、葬儀
13日土曜日、松林寺大般若(内献)と総代会
というような1週間でした。
本来ならこの1週間は1年で一番忙しい週になるはずでした。
6月第1日曜は松林寺集中講座、第2土曜は大般若会というのが恒例行事です。
集中講座はチラシもできて、実行委員会を開く直前で中止を余儀なくされました。
町で出会う人から「今年はいつですか」と声をかけられます、みんな楽しみにしてくれていました。
大般若会も中止ですが、祈祷札は配らなければならないので、予定通りの日に住職・副住職と総代さん方だけで内献で勤めました。「疫病収束、厄災消除、万民安寧、諸縁吉祥」を祈りました。
朝の連ドラはBSPで観て、そのまま次の番組を観ています。
8時の月曜日は「ワイルド・ライフ」で、生き物の貴重な映像を楽しみにしています。
鳥の求愛ダンス、昆虫の擬態、動物の過酷な子育てなどに感動を覚えます。
生きることは食べることで、当然食べるものと食べられるものがいます。
草食動物は草を食べ、肉食動物は草食動物を食べます。
弱いものから見るとなんと残酷のように見えてしまいますが、強いものも決して安泰ではありません。
百獣の王といわれるライオンですが、王と呼ばれながらその生態はなかなかの厳しさです。
人間の王様のように、かしずき食料を差し出す者はありません。自分の力で食べて生きていかなければなりません。
オスどうしの争いがあります。強いからといって簡単に獲物にありつけるわけではありません。弱ったライオンはいつもハイエナが狙っています。そしてやがて死に食べられていきます。残った死骸にはハゲタカや鳥などが集まってきます。
命は循環していくものです。
生物が海から上陸して4億年、命の循環を繰り返してきました。
以来無数の個体が生まれ死んでいきました。その死骸は全部食べられてきたのです。
動物が食べ、鳥や昆虫が食べ、微生物が食べ植物が吸収してきました。終いには骨さえも形をなくしてしまいます。
排泄物も同じです。
想像してみてください。
全ての命の排泄物が何らかの命に食べられずそのまま残っていたとしたら。地球はウンコの星になっていたでしょう。海はウンコでつまっていたに違いありません。人間は生まれなかったでしょう。「地球は臭かった」という宇宙飛行士さえ現れません。
今こうやって、空気がうまいだとか、緑が美しい、海が青い、などと言っていられるのは、命の循環の現れです。
命は循環し、循環して全ての命は生きているのです。全ての命というよりも、全体で一つの命ととらえた方がいいでしょう。
「地球上で命はたった一度しか生まれていない、そして一度も死んでいない」というのが自然科学の常識だという話を聞いたことがあります。
一つの細胞が分裂を繰り返して全ての命に分かれ、生存を終えた個体は分解され次の個体に生き続ける。それが命のありようだというのです。
なので、無駄の無意味の命は何一つなく、全ては全てがつながった大きな命の一部なのだというとらえ方です。
まさに「不生不滅」であり、「不増不減」で満ち満ちています。
ですから時々思います。
別の命に喰われるとき、その命は恍惚を感じているのではないかと。
ライオンから首に喰いつかれたガゼルが、体は命の本能として抵抗しながらも、精神は、遠のいていく意識の中で恍惚を感じていることはないのかと。思い込み過ぎるでしょうか。
小さいころから、大蛇に飲み込まれる妄想にとらわれてきました。
前世、あるいははるか昔は小ネズミだったのではないかと思うときもあります(小ブタでもいいのですが)。蛇が身の毛がよだつほど嫌いな理由はそのせいではないかと思ったりします。
今のこの体でも飲み込むような大蛇が現れて大きな口で噛みつかれる。そしてゆっくりゆっくり、関節をはずされながら頭から口の奥へと飲み込まれていく。その刹那、為す術なく身をまかせ、命が命に取り込まれる摂理を、エクスタシーと感じることはないだろうか、と。
あるいは私一人の願望に過ぎないのだろうか。
生まれたものは必ず死んでいく。
しかしそれは個体として見た姿であり、命の全体を見た場合、命は命に取り込まれて、というよりも元に戻って生き続けるのです。
恍惚のイメージ、同感していただけますか。
死ぬことは悪ではありません。死ぬのではなく帰るのです。お骨も土に帰すべきです。
影も形もなくなるということは、別の命の中に全てが取り込まれたということですから、安心していいことです。死骸が残ったままでは死んだままということになります。
死の恐怖を取り除くことで今の生に集中することが大事です。
因みに、予定日ジャストの昨日の午前3時、娘が無事女児を出産しました。「ハイパー安産だ」と言われたようです。また一つ命がつながりました。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。