なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ272 淘汰されないもの

2020年07月19日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第272回。7月19日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
14日火曜日、人間ドッグ
17日金曜日、もっちい例会
というような1週間でした。

なかなか陽が射しません。ここまで夏の暑さのない7月でした。
過ごしやすいといえば人間にとっての良いことですが、農作物はどうなのでしょうか。サンマが1匹6000円というのはその影響はないのでしょうか。
ましてや豪雨は。
もう異常とも呼べない気候変動は人間生活がもたらした結果ですが、もしかしたらコロナもそれに近い現象なのかと思ったりします。地球の免疫作用によって害を及ぼす人間という存在を排除しようとしているかのごとくです。地球にとって人間はやはりがん細胞なのでしょうか。
コロナはこれまで経験のない出来事ですから、政府の対応が右往左往するのも少しはわかりますが、それにしてもチグハグです。経済活動を優先すれば命の危険が増すというのは、原発事故のことでもかつてのいわゆる公害問題でも経験しているはずです。
命より優先されるものなどないのに、経済が先と錯覚してしてしまうことが、人間が地球から排除される理由ではないかと思うことです。
お金は人間が発明した便利な道具です。しかし、道具はあくまで道具にすぎません。道具と命を天秤にかけるというロジックそもそもが間違いなのです。
生きるためにはお金が必要だ、と当たり前のように言われますが、動物にお金は必要ありません。お金の発明前は他の動物と同じように人間も生きていました。
人間は動物と違う、どこが違うのでしょうか。もちろん違いはたくさんありますが「お金がないと生きられない」と思い込んでしまったところが大きな違いでしょう。
原始に帰れと言いたいわけではありません、命のために「生きること」が必要なのであって「お金そのもの」が必要なのではないということはしっかりと腹落ちしておくべきだと思います。

先日芸工大の三浦先生が、「コロナ以前からテレビ電話いわゆるリモートを活用しようという提案はあったが、あまり普及しなかった。それが、そうせざるを得なくなって利用してみると意外に活用できることに気づいた。そればかりか、これまで積極的な学生と消極的な学生に対応するのに差を感じていたが、リモートだとそれが平等にできることも分かった。リモートの授業はなんと出席率が100%だ。大学は校舎や場所を指すのではなく学びの提供だから、今後キャンパスの存在意義すら問われることになるだろう」という話をされました。
そのような気づきは他の色々な分野に及んでいると思われ、それが定着すれば生活形態も大きく変わってくると考えられます。
実際私の場合も、東京の団体の会議がリモートになって何の不自由も感じられません。移動時間や交通費、宿泊費、飲み代を考えれば、むしろこの方が望ましいとも言えます。
それを進めていけば、都会に住む必要もない職種もたくさんあるだろうと思われます。
コロナによってもたらされるものは、場所の意味の問い直しと職業の淘汰かもしれません。
なぜそこでなければならないのか、なぜそれが必要なのか、の問いが突き付けられているといえるのではないでしょうか。
で、淘汰されて最後に残る職業は何かと考えると、それは究極的に生老病死にかかわるものではないのか。
誕生から衣食住など生にかかわるもの、老人や病人にかかわるもの、そして死にかかわるもの、それらの関連業種は最後まで残るように思います。それにプラスするとすれば「楽」でしょうか。
体も心も楽になるための職業、そして楽しみのための職業。それは人間が生み出した生老病死以外の重要な要素だと思われます。
「楽しみの分野」といっても多種多様に及びます。ホストもキャバクラも楽しみといえばそう言えるのでしょう。
そんなことを言ったら全てが含まれるじゃないかといわれるかもしれません。
しかしその中でも「生きるためにそれは本当に必要なのか」という優先順位で見れば脱落していく職業はあるでしょう。
「それで生きている人もいる」という意見もあるでしょうが、目先のことではなく、それで食えなくなれば職業を替えるだけのことです。淘汰されるのは人ではなく職業です。戦争がなくなれば武器を作る人が転職するのと同じことです。
ということで、コロナがもたらしたものは、意外と早くその影響が現れるかもしれません。もしかしたら、温暖化防止の効果も含んでいるかもしれません。
コロナで亡くなられた方にはまことに申し訳なく、また生活が立ちいかなくなってしまった方にも酷な言い分であることは重々承知の上で申し上げると、地球規模の視点から言えば、人間にとって自分にとって、必要なものは何かの優先順位を考える、またとない機会ではないかと思うのです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。