三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第313回。5月9日、日曜日。
5月8日の昨日は松林寺の降誕会、花まつりでした。
少人数でしたが、いつものように梅花講の皆さんとお花を飾ってお祝いしました。
シャカ族の王子として誕生した人間シッダールタ。
悩み多き少年時代を過ごし、やがて城を抜けだし苦行を経て、人間の苦しみの原因を探りそこからの解放に目覚め、その教えを広めるために旅をされた。
その生涯のはじめの物語として降誕会は説かれています。
ネパールに行ったとき、「ここがその場所だ」とされる地を訪れたことがありました。
聖者誕生の地はそれなりの意味はあると思いますが、私はさほど感動を覚えませんでした。
それよりも、シッダールタが釈尊になる原因となった「四門出遊」の物語の方が私には意味深く感じられます。
若き日、王子は従者を連れて城の外に遊びに出た。一説には14歳のときとされる。
そこで、老いた人、病んだ人、死んだ人を見た。
それまでに、それらの人を一切見たことのなかった王子は非常にショックを受けた。
皺だらけで黒ずんだ皮膚。痩せ細ってあばら骨が浮き出た体。髪が白くなり眼も白濁し、力なく横たわる老人の姿を、見たくないと思った。
しかし、これが全ての人間が避けられないやがて来る姿であるならば、それを現在の自分が嫌悪するのは自らの驕(おご)りではないのか、と気づき強く反省した。
同じように、病についても、死についても、それを見たくないという自らの嫌悪感に対して強く反省した。
それが後に、「若さの驕り」「健康の驕り」「いのちの驕り」という「三つの驕り」にまとめられました。
老いや死を避けたいという思いから、目を背けたり、見ないようにする気持ちは誰にもある感情かと思います。
しかし、それが他人事ではなく、やがてやってくる自らの姿だとすれば、自分の姿に目を背けていることになります。自分の姿に自分が嫌悪しているのは、現在の我が身の「若さの驕り」だと気づいたことが釈尊の優れたところです。
だとするならば、我々にはこの三つだけでない驕りがあると思われます。
テレビに映る、飢えた子どもの姿や難民の人々を見たくないと思う、それも驕りではないのか。
いじめられている人を見て見ぬふりをする。
貧困の子どもをかわいそうだと思いながら無視する。
差別を受ける人をそちらにも問題があるんじゃないのなどとはぐらかす。
災害の被災者を見ようとしない。
戦争や紛争で傷つき、あるいは命を落とした人々に目を背ける。
血と涙を流しながら命をかけて抵抗するミャンマーの人々を他人事と退ける。
それらは全て、自らの驕りからくるものなのではないか。
「富者の驕り」
「平和の驕り」
「安全の驕り」
「マジョリティの驕り」
「常識の驕り」
「正義の驕り」
「普通の驕り」
現実を見たくない思いの原因はどこにあるのか。その追求の眼を自らに向ける。
それがシッダールタが出家を志す起因になったのだと思います。
東の門から出て老人を見、南の門から出て病人を見、西の門から出て死人を見て現実の姿に心を痛め、北の門から出て沙門を見てその姿に打たれ出家を志す、という物語になったのが「四門出遊」です。
そういう意味で、誕生の地から車で1時間ほど離れたシャカ族のカピラ城跡だとされる遺跡に立ったとき、苦悩の日々と出家への憧れを抱いた若きシッダールタの肉体を感じ感激でした。
母親の姿を見ていると、当に老衰、老醜と言わざるを得ません。
着替えをさせてもらいベッドから車椅子に移り、口に食事を運んで食べさせてもらう。
おしめに排泄してそれを家族に処理してもらう。そのことの苦痛を感じていないわけではないと思います。
「それでも生きていなければならないのか」、そう思うこともあるのではないか。
父親もパーキンソン病に苦しんで「もう生きていたくない」とこぼしたことがありました。
それでも生きていなければならないのか。私もそう思ったことがあります。
釈尊は、その目を自らに向けた人でした。
そして、その解決法を示し、涅槃を目指したのです。
だとするならば、老いは決して避けるべきことではなく、自らを見つめ、苦悩の解脱に向かう起点の一つになり得ることだと受けとめることができます。
見たくない現実こそが、自分を高めてくれるのだと学ばなければなりません。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
5月8日の昨日は松林寺の降誕会、花まつりでした。
少人数でしたが、いつものように梅花講の皆さんとお花を飾ってお祝いしました。
シャカ族の王子として誕生した人間シッダールタ。
悩み多き少年時代を過ごし、やがて城を抜けだし苦行を経て、人間の苦しみの原因を探りそこからの解放に目覚め、その教えを広めるために旅をされた。
その生涯のはじめの物語として降誕会は説かれています。
ネパールに行ったとき、「ここがその場所だ」とされる地を訪れたことがありました。
聖者誕生の地はそれなりの意味はあると思いますが、私はさほど感動を覚えませんでした。
それよりも、シッダールタが釈尊になる原因となった「四門出遊」の物語の方が私には意味深く感じられます。
若き日、王子は従者を連れて城の外に遊びに出た。一説には14歳のときとされる。
そこで、老いた人、病んだ人、死んだ人を見た。
それまでに、それらの人を一切見たことのなかった王子は非常にショックを受けた。
皺だらけで黒ずんだ皮膚。痩せ細ってあばら骨が浮き出た体。髪が白くなり眼も白濁し、力なく横たわる老人の姿を、見たくないと思った。
しかし、これが全ての人間が避けられないやがて来る姿であるならば、それを現在の自分が嫌悪するのは自らの驕(おご)りではないのか、と気づき強く反省した。
同じように、病についても、死についても、それを見たくないという自らの嫌悪感に対して強く反省した。
それが後に、「若さの驕り」「健康の驕り」「いのちの驕り」という「三つの驕り」にまとめられました。
老いや死を避けたいという思いから、目を背けたり、見ないようにする気持ちは誰にもある感情かと思います。
しかし、それが他人事ではなく、やがてやってくる自らの姿だとすれば、自分の姿に目を背けていることになります。自分の姿に自分が嫌悪しているのは、現在の我が身の「若さの驕り」だと気づいたことが釈尊の優れたところです。
だとするならば、我々にはこの三つだけでない驕りがあると思われます。
テレビに映る、飢えた子どもの姿や難民の人々を見たくないと思う、それも驕りではないのか。
いじめられている人を見て見ぬふりをする。
貧困の子どもをかわいそうだと思いながら無視する。
差別を受ける人をそちらにも問題があるんじゃないのなどとはぐらかす。
災害の被災者を見ようとしない。
戦争や紛争で傷つき、あるいは命を落とした人々に目を背ける。
血と涙を流しながら命をかけて抵抗するミャンマーの人々を他人事と退ける。
それらは全て、自らの驕りからくるものなのではないか。
「富者の驕り」
「平和の驕り」
「安全の驕り」
「マジョリティの驕り」
「常識の驕り」
「正義の驕り」
「普通の驕り」
現実を見たくない思いの原因はどこにあるのか。その追求の眼を自らに向ける。
それがシッダールタが出家を志す起因になったのだと思います。
東の門から出て老人を見、南の門から出て病人を見、西の門から出て死人を見て現実の姿に心を痛め、北の門から出て沙門を見てその姿に打たれ出家を志す、という物語になったのが「四門出遊」です。
そういう意味で、誕生の地から車で1時間ほど離れたシャカ族のカピラ城跡だとされる遺跡に立ったとき、苦悩の日々と出家への憧れを抱いた若きシッダールタの肉体を感じ感激でした。
母親の姿を見ていると、当に老衰、老醜と言わざるを得ません。
着替えをさせてもらいベッドから車椅子に移り、口に食事を運んで食べさせてもらう。
おしめに排泄してそれを家族に処理してもらう。そのことの苦痛を感じていないわけではないと思います。
「それでも生きていなければならないのか」、そう思うこともあるのではないか。
父親もパーキンソン病に苦しんで「もう生きていたくない」とこぼしたことがありました。
それでも生きていなければならないのか。私もそう思ったことがあります。
釈尊は、その目を自らに向けた人でした。
そして、その解決法を示し、涅槃を目指したのです。
だとするならば、老いは決して避けるべきことではなく、自らを見つめ、苦悩の解脱に向かう起点の一つになり得ることだと受けとめることができます。
見たくない現実こそが、自分を高めてくれるのだと学ばなければなりません。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。