なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ359 古風を慕う

2022年04月03日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第359回。4月3日、日曜日。

4月に入りましたが田んぼはまだ顔を出していません。雪の下です。
当地の春はまだ先のようです。

先週はバタバタと色々ありました。
27日日曜日、岩手県の本葬に参列しました。本寺である正法寺の山主老師と、得度の師である宮城県林泉寺東堂老師と、不肖私で三仏事を勤めました。
28日月曜日、シャンティの総会出席のため上京。新幹線が不通のため、庄内空港から羽田へ。
29日火曜日、東京から永平寺へ。禅師様へ拝問しミャンマーの僧院学校支援の御礼をさせていただきました。また、懐かしい方々と懇親の時間がありました。お山は何年ぶりでしょうか。いつ訪れても心が鎮まります。
その日は門前に泊まり、30日、小松空港から羽田経由で庄内空港へ。
31日朝、会林寺方丈様が遷化されたとの訃報が入り、取るものも取りあえず参上。
前日夕方、本堂の戸締りの途中に倒れそのままだったと。享年95歳でしたがお元気でしたので、あまりの突然に驚きました。
方丈様には一方ならぬお世話になりました。
法類総代であり、松林寺並びに宿用院の責任役員をお願いしていたので、寺のことで何があっても真っ先に相談する方丈様でした。
私たちの仲人でもあり、息子夫婦と2代に亘って結婚式の式師をも勤めていただきました。
永平寺での修行から帰り、しばらく寺のお手伝いをさせていただいた時期がありました。
その間に結婚が決まり、その相手はその寺の檀家の人でもありました。
寺では囲炉裏に炭をおこして暖を取っていました。
ある日、方丈様も奥様も外出して留守番を頼まれていました。
炭をおこそうと思いましたが、私一人なのでもったいないから炭を1個だけガスでおこして囲炉裏にいけました。
煙突を立てたり団扇で扇いだりしますが、炭はおこるどころかだんだん消えかかっていきます。
そこへ方丈様が帰って来られました。
私の様子を見て、笑いながら教えてくれました。
「義道さん、炭は1個ではおきないんだよ。互いに暖め合っておきるんだ。夫婦も同じなんだな」と。
図らずも、炭の教えは仲人による結婚の教示となりました。
その後、毎年正月とお盆には拝登し、お邪魔するたびに子どもたちにお年玉、お小遣いと頂戴してきました。
こんなこともありました。
ずいぶん以前のこと、松林寺の檀家のおじいさんがこんな思い出話をしてくれました。
方丈様が定時制高校の先生をしておられた頃のこと、お顔を知っていた方丈様が自転車で向かってくるのを見かけて声をかけたところ、「何と先生は乗っていた自転車から降りて挨拶してくれた。こんな俺にわざわざ自転車から降りて頭を下げてくれたことが、今でも忘れられない」と。ずいぶん昔のことを昨日のことのように感銘深く話してくれました。
確かにそういう方丈様でした。一時の邂逅が何十年もその人の胸に刻まれるような、そんな行動の人徳の方でした。
新庄市長に押されたこともありましたが、「俺は政治家よりも住職の方が上だと思っているから、人はなかなか上から下へは下りられないものだよ」と冗談交じりに呵々大笑していました。
帝国大学、現東大の印度哲学を修められた方丈様は、月例の坐禅会を何十年と行じられ、宗門の要職の他、市の教育委員長はじめ数々の役職を務められました。
それなのに、名誉や、持ち物、建物などには全く頓着がなく、ある意味、伽藍は朽ちるに任せていました。
寺に居る時はいつも着物を召され、どなたに対しても丁寧な言葉づかいで、やわらかな容顔で向かっておられました。
こよなく煙草を愛し、最期まで手放すことはありませんでした。
毎朝朝課の後に雨戸を開け、夕方決まった時間に閉める。そんな日常を勤めておられました。
冬は建付けの悪い雨戸から雪が吹き込み、朝晩ほうきと塵取りで片づけておられたようです。
その日常はまさに「古風を慕う」禅風そのものでした。
4日に入棺、逮夜。5日に密葬が執り行われます。
方丈様、大変お世話になりました。ありがとうございました。
大寂静中、真位の増崇を祈ります。

本日3日は、午後から松林寺の総代会、役員会を行います。
6月の大般若、護持会総会に向けた協議です。
一気にいろんなことが動いてきました。
季節より前に行事が先に春を迎えたようです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。