三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第360回。4月10日、日曜日。
あの遠くはりめぐらせた 妙な柵のそこかしこから
今日も銃声は鳴り響く 夜明け前から
目を覚まされた鳥たちが 燃え立つように舞い上がる
その音に驚かされて 赤ん坊が泣く
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう
私の中の父の血と 私の中の母の血と
どちらか選ばせるように 柵は伸びてゆく
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう
あのひまわりに訊きにゆけ あのひまわりに訊きにゆけ
どこにでも降り注ぎうるものはないかと
だれにでも降り注ぐ愛はないかと
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう 『ひまわり"SUNWARD"』
中島みゆきの1994年の作品ですが、まるで、ウクライナ侵攻を予測したかのような歌です。
「SUNWARD」とは「太陽に向かう」という意味。花の香りに国境はない。
垣根をなくすことは混ざり合うことではない。互いを尊敬しあって生きていくということ。
全ての人に太陽は降り注ぐ。
人はなぜ戦争をしたがるのか。
どんな大義があろうとも、武力、暴力によって相手を組み敷くような、あるいは命を奪うようなことは断じて許されません。許してはなりません。
また、同じ土俵に登って、武力によって武力を制するようなことも許されません。それは、正義を武力によって勝ち取るという手法なのですから。
やはりお釈迦様の説かれる
すべての者は暴力におびえ、
すべての者は死をおそれる。
己が身に引きくらべて、
殺してはならぬ。
殺さしめてはならぬ。
という真理を広めるしかありません。
自ら武器を置くことは勇気がいることです。
しかし、武器は武器を呼ぶ、核は核を連れてくるというのが現実です。
どちらかが先に放棄しなければ、決して平和は訪れないでしょう。
本当に、100年も前に逆戻りしたかのような世界になってきました。
原因は一人の狂った権力者なのかもしれませんが、その一人が生まれる背景もあるのかもしれません。
世界を二分して、どちら側につくかを選ばせるような枠組みは、やはり不安をあおり、焦りを引き起こすようにも思います。
何色かに色分けするのではなく、全ての色を多様性として受け入れていく以外にないのです。
虹がきれいなのは、それぞれの色が自分の色を持っているからであり、混ざり合ってしまえば虹でもないしきれいでも何でもないでしょう。
自らのアイデンティティに誇りを持ち、だからこそ同じように、他人のアイデンティティも尊重する、それが虹の美しさの理由です。
SDGsは17色で表現されています。それぞれのゴールを色で表現したものですが、その目標が美しい世界であることを表しているものと思います。
SDGsの対極にあるものが戦争です。
いわば、戦争は真っ黒、ブラックホールかもしれません。もちろん、SDGsに黒は入っていません。
戦争は持続可能性を完全に否定するものだからです。
しかし今回の出来事では、国連の力のなさを思い知らされて悲しくなりました。
武力によらない解決を図るのが国連の存在意義ではなかったのか。
戦争の始まりを抑止できず、始まってからも止められない。
NATOを「NO ACTION TALK ONLY」つまり、行動しないでしゃべってるだけ、と揶揄されたことがありましたが、国連も同じだと思い知らされたことです。
かといって、国連が軍隊を持つようなことはやはり間違いです。
あくまでも武力を使わないで解決する仕組みを作ることが国連の役割です。
難しい?宇宙に人を送るような科学と技術に使う頭脳があるのなら、それこそ叡智を結集して世界の平和に貢献すべきです。
そして国連は、白、あるいは無色透明であるべきです。何系という色がついた段階で機能を果たせなくなるでしょう。
ひまわりの色は平和の象徴の色に思えました。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
あの遠くはりめぐらせた 妙な柵のそこかしこから
今日も銃声は鳴り響く 夜明け前から
目を覚まされた鳥たちが 燃え立つように舞い上がる
その音に驚かされて 赤ん坊が泣く
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう
私の中の父の血と 私の中の母の血と
どちらか選ばせるように 柵は伸びてゆく
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう
あのひまわりに訊きにゆけ あのひまわりに訊きにゆけ
どこにでも降り注ぎうるものはないかと
だれにでも降り注ぐ愛はないかと
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう 『ひまわり"SUNWARD"』
中島みゆきの1994年の作品ですが、まるで、ウクライナ侵攻を予測したかのような歌です。
「SUNWARD」とは「太陽に向かう」という意味。花の香りに国境はない。
垣根をなくすことは混ざり合うことではない。互いを尊敬しあって生きていくということ。
全ての人に太陽は降り注ぐ。
人はなぜ戦争をしたがるのか。
どんな大義があろうとも、武力、暴力によって相手を組み敷くような、あるいは命を奪うようなことは断じて許されません。許してはなりません。
また、同じ土俵に登って、武力によって武力を制するようなことも許されません。それは、正義を武力によって勝ち取るという手法なのですから。
やはりお釈迦様の説かれる
すべての者は暴力におびえ、
すべての者は死をおそれる。
己が身に引きくらべて、
殺してはならぬ。
殺さしめてはならぬ。
という真理を広めるしかありません。
自ら武器を置くことは勇気がいることです。
しかし、武器は武器を呼ぶ、核は核を連れてくるというのが現実です。
どちらかが先に放棄しなければ、決して平和は訪れないでしょう。
本当に、100年も前に逆戻りしたかのような世界になってきました。
原因は一人の狂った権力者なのかもしれませんが、その一人が生まれる背景もあるのかもしれません。
世界を二分して、どちら側につくかを選ばせるような枠組みは、やはり不安をあおり、焦りを引き起こすようにも思います。
何色かに色分けするのではなく、全ての色を多様性として受け入れていく以外にないのです。
虹がきれいなのは、それぞれの色が自分の色を持っているからであり、混ざり合ってしまえば虹でもないしきれいでも何でもないでしょう。
自らのアイデンティティに誇りを持ち、だからこそ同じように、他人のアイデンティティも尊重する、それが虹の美しさの理由です。
SDGsは17色で表現されています。それぞれのゴールを色で表現したものですが、その目標が美しい世界であることを表しているものと思います。
SDGsの対極にあるものが戦争です。
いわば、戦争は真っ黒、ブラックホールかもしれません。もちろん、SDGsに黒は入っていません。
戦争は持続可能性を完全に否定するものだからです。
しかし今回の出来事では、国連の力のなさを思い知らされて悲しくなりました。
武力によらない解決を図るのが国連の存在意義ではなかったのか。
戦争の始まりを抑止できず、始まってからも止められない。
NATOを「NO ACTION TALK ONLY」つまり、行動しないでしゃべってるだけ、と揶揄されたことがありましたが、国連も同じだと思い知らされたことです。
かといって、国連が軍隊を持つようなことはやはり間違いです。
あくまでも武力を使わないで解決する仕組みを作ることが国連の役割です。
難しい?宇宙に人を送るような科学と技術に使う頭脳があるのなら、それこそ叡智を結集して世界の平和に貢献すべきです。
そして国連は、白、あるいは無色透明であるべきです。何系という色がついた段階で機能を果たせなくなるでしょう。
ひまわりの色は平和の象徴の色に思えました。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。