三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第361回。4月17日、日曜日。
川西町に来ています。
昨日今日と、高徳寺様の慶弔会、先代方丈様の本葬と新命方丈様の晋山結制に、カミさん共々お招きいただきお邪魔しています。
実は、新命の雅廣さんと奥様の朱珠さんは、私たちが仲人を務めさせていただいたという関係です。
そういう訳で、二人でご招待いただきました。
先代様は、禅僧として凛とした方で、尊敬申し上げていました。
ただ、お子さんに恵まれず、後継者を探しておられました。
一方、雅廣さんは河北町の在家出身ですが、大学時代に縁あって出家され、修行に行かれた永平寺で私との縁も生まれました。
朱美さんとは中学時代からの同級生で、長くおつきあいがあったようです。
修行から帰って、寺の決まっていない雅廣さんには、いろんなお寺さんから声がかかりましたが、結果として高徳寺様に落ち着いて今があります。
そんな中で、結婚される際に仲人を頼まれたのでした。
雅廣さんは、先代方丈様の薫陶を受け、高徳寺の後継者として研鑚を重ね、立派な住職となられました。
今、長男の風雅君は永平寺の修行中ですが、他出の許可をいただき本日首座法戦式を務めます。
その晴れの姿を先代様にもご覧いただきたかったと思いますが、きっと大寂静中、目を細めてご照覧のここと思います。
人と人とがどこでどのように出会い、どのように展開していくのか、筋書きのないドラマです。
中島みゆきは『糸』で、めぐり逢いを「仕合わせ」とよんでいます。
全ては縁によるものです。
犬も歩けば棒に当たるというように、何もしないでただぼんやり過ごすのも、縁と言えばそれも縁でしょうが、自分の願いや夢を持ち、それに向かっていくとき、その行動の中で紡がれる縁があるでしょう。
縁はつくることもできます。
脳内の神経伝達構造ニューロンのように、一つの出会いは次の出会いへとつながっていき、縁は無尽に広がるとも言えます。
雪が解けると様々な作業が待っていますね。
雪囲いを外し、冬の間の汚れをきれいにしたり、植木鉢の移動などもあります。
一つを片付けると次のことが見えてきて、やればやるほど次から次へと作業が続いていくという経験はあるでしょう。
やらなければ見えないことがやることによって見えてくる。
行動しなければ次の行動は生まれないし、縁は広がらないのです。
高徳寺さんの先代様が亡くなられた報せをいただき参上したときに、永平寺から帰って来ていた風雅君と少し話す機会がありました。
先代様を血のつながったおじいさんだと思っていたと。結婚当時のお父さんの話をすると、何も聞いてはいなかったようで、お父さんがこの寺に居ることも当たり前のことであり、何の疑問も持たなかったと。
そうなのでしょう。
日常に慣れてしまえば、今ここに自分があることが当たり前のことであり、不思議にも疑問にも感じなくなります。
しかし、ここに自分があることは、決して当たり前のことではなく、親や先祖が知らない苦労をしたり、塗炭の苦しみを味わったり、数奇な出会いがあったりして奇跡的に今があるのです。
戦争のない中で暮らしていけることが、どれほどの努力の上に成り立っていることか、少しは考えた方がいいですね。
縁は作り出せるのですから、平和な世界だって作り出せるはず。
強く思うことで縁はつながっていきます。
シャンティ国際ボランティア会がウクライナ難民への支援活動を開始します。
今月末からポーランドとモルドバに入っての調査を行いますが、どんな支援活動になるかはその調査を待ってからになります。
シャンティの活動地はこれまでアジアに限られてきて、ヨーロッパは初めての地です。
ウクライナの難民、避難民が発生してから、関心は寄せていましたが、シャンティの活動地であるミャンマーやアフガニスタンにも来日の希望者があり、支援を必要としています。福島沖地震の被災地もあります。
ウクライナの問題に光が当たれば当たるほど、その陰となって関心は薄れてしまいます。
なので、ウクライナへの支援は二の足を踏んでいたことでありました。
しかしまた、当会の活動のスタートはカンボジア難民支援であり、これほどの歴史的な難民問題に対して座視看過するわけにもいきませんでした。
曹洞宗門の関心の高さもあり、行動を起こすことになりました。
古い支援者からは、あまり活動地を広げないでというアドバイスもあります。その通りだと思います。
ただ、我々の活動は団体の運営のためにやっているわけではなく、より困難な人々を見て見ぬふりすることが苦しいというところからスタートしている以上、その心は捨ててはならないと思っています。
ご理解とご支援をいただけたらありがたく思います。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
川西町に来ています。
昨日今日と、高徳寺様の慶弔会、先代方丈様の本葬と新命方丈様の晋山結制に、カミさん共々お招きいただきお邪魔しています。
実は、新命の雅廣さんと奥様の朱珠さんは、私たちが仲人を務めさせていただいたという関係です。
そういう訳で、二人でご招待いただきました。
先代様は、禅僧として凛とした方で、尊敬申し上げていました。
ただ、お子さんに恵まれず、後継者を探しておられました。
一方、雅廣さんは河北町の在家出身ですが、大学時代に縁あって出家され、修行に行かれた永平寺で私との縁も生まれました。
朱美さんとは中学時代からの同級生で、長くおつきあいがあったようです。
修行から帰って、寺の決まっていない雅廣さんには、いろんなお寺さんから声がかかりましたが、結果として高徳寺様に落ち着いて今があります。
そんな中で、結婚される際に仲人を頼まれたのでした。
雅廣さんは、先代方丈様の薫陶を受け、高徳寺の後継者として研鑚を重ね、立派な住職となられました。
今、長男の風雅君は永平寺の修行中ですが、他出の許可をいただき本日首座法戦式を務めます。
その晴れの姿を先代様にもご覧いただきたかったと思いますが、きっと大寂静中、目を細めてご照覧のここと思います。
人と人とがどこでどのように出会い、どのように展開していくのか、筋書きのないドラマです。
中島みゆきは『糸』で、めぐり逢いを「仕合わせ」とよんでいます。
全ては縁によるものです。
犬も歩けば棒に当たるというように、何もしないでただぼんやり過ごすのも、縁と言えばそれも縁でしょうが、自分の願いや夢を持ち、それに向かっていくとき、その行動の中で紡がれる縁があるでしょう。
縁はつくることもできます。
脳内の神経伝達構造ニューロンのように、一つの出会いは次の出会いへとつながっていき、縁は無尽に広がるとも言えます。
雪が解けると様々な作業が待っていますね。
雪囲いを外し、冬の間の汚れをきれいにしたり、植木鉢の移動などもあります。
一つを片付けると次のことが見えてきて、やればやるほど次から次へと作業が続いていくという経験はあるでしょう。
やらなければ見えないことがやることによって見えてくる。
行動しなければ次の行動は生まれないし、縁は広がらないのです。
高徳寺さんの先代様が亡くなられた報せをいただき参上したときに、永平寺から帰って来ていた風雅君と少し話す機会がありました。
先代様を血のつながったおじいさんだと思っていたと。結婚当時のお父さんの話をすると、何も聞いてはいなかったようで、お父さんがこの寺に居ることも当たり前のことであり、何の疑問も持たなかったと。
そうなのでしょう。
日常に慣れてしまえば、今ここに自分があることが当たり前のことであり、不思議にも疑問にも感じなくなります。
しかし、ここに自分があることは、決して当たり前のことではなく、親や先祖が知らない苦労をしたり、塗炭の苦しみを味わったり、数奇な出会いがあったりして奇跡的に今があるのです。
戦争のない中で暮らしていけることが、どれほどの努力の上に成り立っていることか、少しは考えた方がいいですね。
縁は作り出せるのですから、平和な世界だって作り出せるはず。
強く思うことで縁はつながっていきます。
シャンティ国際ボランティア会がウクライナ難民への支援活動を開始します。
今月末からポーランドとモルドバに入っての調査を行いますが、どんな支援活動になるかはその調査を待ってからになります。
シャンティの活動地はこれまでアジアに限られてきて、ヨーロッパは初めての地です。
ウクライナの難民、避難民が発生してから、関心は寄せていましたが、シャンティの活動地であるミャンマーやアフガニスタンにも来日の希望者があり、支援を必要としています。福島沖地震の被災地もあります。
ウクライナの問題に光が当たれば当たるほど、その陰となって関心は薄れてしまいます。
なので、ウクライナへの支援は二の足を踏んでいたことでありました。
しかしまた、当会の活動のスタートはカンボジア難民支援であり、これほどの歴史的な難民問題に対して座視看過するわけにもいきませんでした。
曹洞宗門の関心の高さもあり、行動を起こすことになりました。
古い支援者からは、あまり活動地を広げないでというアドバイスもあります。その通りだと思います。
ただ、我々の活動は団体の運営のためにやっているわけではなく、より困難な人々を見て見ぬふりすることが苦しいというところからスタートしている以上、その心は捨ててはならないと思っています。
ご理解とご支援をいただけたらありがたく思います。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。