三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第366回。5月22日、日曜日。
何と今日は私の誕生日です。
めでたくもない歳なのでお祝いの言葉とかはご遠慮します。
諸人よ思い知れかし 己が身の誕生の日は 母苦難の日
という歌は、薬師寺高田好胤管主の『母ー父母恩重経を語るー』で心に響いた記憶があります。
だから、自分の誕生日は母に花を贈るのだ、という話もむべなるかなとうなづいて、一度は贈ったことがあります。一度だけでした。
親の恩は分かっているのになかなか実行できません。
今母は、私に抱かれて寝起きする状態になりました。アルツハイマーが進行しています。
「おはよう」と声をかけると、調子のいいときははっきりと「おはよう」と声に出してくれます。
しかし、それ以外はほとんど話ができないので、頭の中で何を考えているのか、心にどんな言葉があるのかないのか、察することはできません。
飲み込みやすいように、おかゆとミキサーにかけたおかずを混ぜて口に運んでも、飲み込めなかったり、口の端から漏れてきたり、途中で眠ってしまったり、なかなか時間がかかります。
それでもひ孫がやって来ると笑顔を見せたりもするので、家に居るのがいいのだと思います。
デイサービスやヘルパーや訪問看護も利用して何とか在宅介護を続けています。
下の世話はカミさんがやってくれるので、感謝しています。
父にはあまりお世話することができなかったのでその埋め合わせを母親にしているような感じもあります。
介護度5で、寝たきりですが、かえってそれだから楽だということもあります。ご飯の時以外は手がかかりません。
母親が88で、私が66になりました。
いくつになっても年齢差は変わりませんが、相対的に近づいています。
私にとっては、認知症になってくれたおかげで母に接することができています。
それまでは、朝声をかけることもしませんでした。
忘れてしまうことを責めたりもしました。
もちろん体を抱くことなどあり得ませんでした。
少しでもお世話をさせていただけることをありがたく思います。私にとっては。
母自身にとっては決してありがたくはないと思いますが。
今日は母に花でも贈ってみましょうか。
昨日は会林寺様の本葬儀でした。
色々な事情で新庄市民文化会館が会場となりました。
本堂とは違う空間での法要は、戸惑うこともあり、また、新たな気づきもあり、大きな会館だからこその雰囲気作りもできました。
最上郡内の青年僧は真にまじめで献身的で、本葬儀を立派に荘厳に成し遂げたいと心を一つにしてくれました。
後藤信而方丈様は、改めてすごい和尚さんだったなと、時間が経つごとに考えさせられます。
法話をさせていただき、その人徳の高さを伝えたいと思いましたが、おそらくは万分の一も叶わなかったと思います。
それぞれの胸中にある思い出を思い起こし、それぞれがその教えを大事に胸に抱いていくきっかけになりさえすればいいと思います。
「遺偈」は禅僧が自分が遷化するときの心境を遺すものですが、毎年正月にその年の遺偈を遺すという慣習が禅寺にあります。方丈様もその一人でした。しかも、自ら解説までつけて。
その遺偈は、
耕雲釣月 拘泥(こだわり)の無い世界に遊んで
九旬五年 九十五年
臨機末後 臨終の機に直面して
不及言詮 なにも云うことなどない
更には、住職を退董するときの法語も準備されていました。
曽て白雲を逐い此の顚に登る かつて白雲をおいこのいただきに登る
今は流水に随い爰に巓を下る 今は流水にしたがいここにやまを下る
現成公案私事に非ず げんじょうこうあん しじにあらず
出處宜しきに適うは之自然 しゅっしょよろしきにかなうはこれじねん
咦 いい
當山に挂錫すること五旬剩り 当山にかしゃくすることごじゅんあまり
歴程を回顧して瓦全を慙ず れきていを回顧してがぜんをはず
意訳をさせてもらうと、
縁あって大儀山の住職となり縁に随って山を下る。
この世の真実のありようは私事の及ぶところではない。進退は自然に任せればいいのだ。
あゝ
会林寺に住すること五十年余り。来し方を顧みて、ただ無為に過ごしたことを恥ずるのみ。
「瓦全」とは、何もしないで生きながらえていること、という意味ですが、その流れに随った生き方が、多くの人を安らかにし、和やかにして来られたのだなと受け止めています。
内仏の過去帳に書き加えました。真位の増崇を祈ります。
ライブ映像がyoutubeにUPされています。2時間半ほどありますがよろしかったら以下から視聴ください。
本葬ライブ
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
何と今日は私の誕生日です。
めでたくもない歳なのでお祝いの言葉とかはご遠慮します。
諸人よ思い知れかし 己が身の誕生の日は 母苦難の日
という歌は、薬師寺高田好胤管主の『母ー父母恩重経を語るー』で心に響いた記憶があります。
だから、自分の誕生日は母に花を贈るのだ、という話もむべなるかなとうなづいて、一度は贈ったことがあります。一度だけでした。
親の恩は分かっているのになかなか実行できません。
今母は、私に抱かれて寝起きする状態になりました。アルツハイマーが進行しています。
「おはよう」と声をかけると、調子のいいときははっきりと「おはよう」と声に出してくれます。
しかし、それ以外はほとんど話ができないので、頭の中で何を考えているのか、心にどんな言葉があるのかないのか、察することはできません。
飲み込みやすいように、おかゆとミキサーにかけたおかずを混ぜて口に運んでも、飲み込めなかったり、口の端から漏れてきたり、途中で眠ってしまったり、なかなか時間がかかります。
それでもひ孫がやって来ると笑顔を見せたりもするので、家に居るのがいいのだと思います。
デイサービスやヘルパーや訪問看護も利用して何とか在宅介護を続けています。
下の世話はカミさんがやってくれるので、感謝しています。
父にはあまりお世話することができなかったのでその埋め合わせを母親にしているような感じもあります。
介護度5で、寝たきりですが、かえってそれだから楽だということもあります。ご飯の時以外は手がかかりません。
母親が88で、私が66になりました。
いくつになっても年齢差は変わりませんが、相対的に近づいています。
私にとっては、認知症になってくれたおかげで母に接することができています。
それまでは、朝声をかけることもしませんでした。
忘れてしまうことを責めたりもしました。
もちろん体を抱くことなどあり得ませんでした。
少しでもお世話をさせていただけることをありがたく思います。私にとっては。
母自身にとっては決してありがたくはないと思いますが。
今日は母に花でも贈ってみましょうか。
昨日は会林寺様の本葬儀でした。
色々な事情で新庄市民文化会館が会場となりました。
本堂とは違う空間での法要は、戸惑うこともあり、また、新たな気づきもあり、大きな会館だからこその雰囲気作りもできました。
最上郡内の青年僧は真にまじめで献身的で、本葬儀を立派に荘厳に成し遂げたいと心を一つにしてくれました。
後藤信而方丈様は、改めてすごい和尚さんだったなと、時間が経つごとに考えさせられます。
法話をさせていただき、その人徳の高さを伝えたいと思いましたが、おそらくは万分の一も叶わなかったと思います。
それぞれの胸中にある思い出を思い起こし、それぞれがその教えを大事に胸に抱いていくきっかけになりさえすればいいと思います。
「遺偈」は禅僧が自分が遷化するときの心境を遺すものですが、毎年正月にその年の遺偈を遺すという慣習が禅寺にあります。方丈様もその一人でした。しかも、自ら解説までつけて。
その遺偈は、
耕雲釣月 拘泥(こだわり)の無い世界に遊んで
九旬五年 九十五年
臨機末後 臨終の機に直面して
不及言詮 なにも云うことなどない
更には、住職を退董するときの法語も準備されていました。
曽て白雲を逐い此の顚に登る かつて白雲をおいこのいただきに登る
今は流水に随い爰に巓を下る 今は流水にしたがいここにやまを下る
現成公案私事に非ず げんじょうこうあん しじにあらず
出處宜しきに適うは之自然 しゅっしょよろしきにかなうはこれじねん
咦 いい
當山に挂錫すること五旬剩り 当山にかしゃくすることごじゅんあまり
歴程を回顧して瓦全を慙ず れきていを回顧してがぜんをはず
意訳をさせてもらうと、
縁あって大儀山の住職となり縁に随って山を下る。
この世の真実のありようは私事の及ぶところではない。進退は自然に任せればいいのだ。
あゝ
会林寺に住すること五十年余り。来し方を顧みて、ただ無為に過ごしたことを恥ずるのみ。
「瓦全」とは、何もしないで生きながらえていること、という意味ですが、その流れに随った生き方が、多くの人を安らかにし、和やかにして来られたのだなと受け止めています。
内仏の過去帳に書き加えました。真位の増崇を祈ります。
ライブ映像がyoutubeにUPされています。2時間半ほどありますがよろしかったら以下から視聴ください。
本葬ライブ
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。