三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第377回。8月7日、日曜日。
置賜地方に県内初の大雨特別警報が出され、各地で被害が出ています。
地球温暖化を原因とした気候変動は、この国のどこでも「今まで経験したことのない」雨を降らせる状況となりました。
「熊本、九州の人たちは大変だね」「それに比べると、山形は雪は降るけど災害がなくていい」などと言っていましたが、山形も例外ではありませんでした。
長期的な視野に立って抜本的な変革をしない限り、もはや異常気象と呼べない環境を変えることはできないのでしょう。
日本人は長期的なビジョンで考えることが不得意かもしれませんが、「明日は我が身」と受け止めて考えていかなければなりません。
全ての存在は一つの命と言いながら、個々の考え方まで一つではありません。
人の話を聴いて、その考えは自分とは違うと感じ、その言い方や態度にも違和感を覚えても、相手にそう伝えられない。
その場では適当に相槌を打ってやり過ごし、一人になってからその言葉を反芻し、繰り返すごとに悶々としてきて夜も眠れなくなってしまう。
他人に相談すると「そんなの相手にズバッと言いたいことを言うか、それができなきゃ忘れるしかない」と言われる。
確かにそうなのだろうと思う。
でも、言いたいことを言えるくらいならこんなに悩まないし、話がヘタクソなので自分の気持ちを言葉にして相手に伝える自信がない。言えば倍になって言い返されることは目に見えている。思い切って言って嫌な関係になった経験が口を開かせない。
「忘れろ」とアドバイスする人は簡単に忘れられるのだろうけど、それができない人だから悩んでいる。簡単に忘れられたらどんなに楽だろう夜眠られないこともないだろうと思う。
どうしたらいいのだろう、という人がいます。
皆さんはどうしたらいいと思いますか?
アドバイスは基本的に、アドバイスする側の経験と性格によってなされるものでしょう。
その人がそういうやり方で解決できたとしても、それが万人に当てはまるものではありません。
結局は、聞いた本人がそこから何を汲み取り自分には何ができるのかを自分で決めていく以外にありません。
考えた結果、私のアドバイスは、
「相手の言葉を嫌な言葉だなと自分が感じ、そういう考えとそういう態度は私はしたくない、と、反面教師として学ぶための時間だったのだと受け止めることはできないか」ということです。
相手の話を聴いてストレスを感じるのは、嫌な言葉を聴いている時間の苦痛と、それに言い返せない自分に対する忸怩たる思い、そして、眠れないほど悩んでしまう自分の性格に対する自己嫌悪から来るものではないでしょうか。
なので、そんな自分を「それでいいのだ」「自分の気持ちを確認し、学べたんだから、無駄な時間でもなかったのだ」と自分を認め、自分を許してあげられればストレスも少しは解消し、眠れるのではないかと推量しますがいかがでしょうか。
過去と相手は変えられない、変えられるのは自分と未来だけ。
ストレスは万病の元ともなりますので、何らかの方法で自ら消化していかなくてはなりません。
過去を引きずったままでは、今という時間を精いっぱい生きることが難しくなります。
ふと思いました。
ゴミ箱に放って外れたゴミを拾って箱に入れながら、「最初からしっかり入れていれば余計な手間をかけなくて済むのに、ずぼらをしたためにかえって難儀する」と自嘲することはないでしょうか。
そんな同じことを何度も繰り返してしまうのは、学習能力よりもずぼらが勝ってしまうということだと思います。
ずぼらをするとかえって手間がかかるという典型ですね。
使ったものを元の場所に戻す。使い終わったものはすぐに片づける。そんなこまめな行動はむしろ後の楽につながるものだと思いますが、ついついそのままにして後悔することになります。
もちろんそういうことが苦手な性格の人もいます。
だとすれば、気がついた人がすればいいだけのことです。片づけないのが自分ではなく相手だとしても、そのことでストレスを感じるのは相手ではなく自分ですから、自分がストレスを感じないようにする方が得策だと思います。
相手が片付けない物を自分が片づけなければならないことがストレスなのだ、というかもしれません。
まあ、それでも、できる人がやる方がうまくいくと思いますよ。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
置賜地方に県内初の大雨特別警報が出され、各地で被害が出ています。
地球温暖化を原因とした気候変動は、この国のどこでも「今まで経験したことのない」雨を降らせる状況となりました。
「熊本、九州の人たちは大変だね」「それに比べると、山形は雪は降るけど災害がなくていい」などと言っていましたが、山形も例外ではありませんでした。
長期的な視野に立って抜本的な変革をしない限り、もはや異常気象と呼べない環境を変えることはできないのでしょう。
日本人は長期的なビジョンで考えることが不得意かもしれませんが、「明日は我が身」と受け止めて考えていかなければなりません。
全ての存在は一つの命と言いながら、個々の考え方まで一つではありません。
人の話を聴いて、その考えは自分とは違うと感じ、その言い方や態度にも違和感を覚えても、相手にそう伝えられない。
その場では適当に相槌を打ってやり過ごし、一人になってからその言葉を反芻し、繰り返すごとに悶々としてきて夜も眠れなくなってしまう。
他人に相談すると「そんなの相手にズバッと言いたいことを言うか、それができなきゃ忘れるしかない」と言われる。
確かにそうなのだろうと思う。
でも、言いたいことを言えるくらいならこんなに悩まないし、話がヘタクソなので自分の気持ちを言葉にして相手に伝える自信がない。言えば倍になって言い返されることは目に見えている。思い切って言って嫌な関係になった経験が口を開かせない。
「忘れろ」とアドバイスする人は簡単に忘れられるのだろうけど、それができない人だから悩んでいる。簡単に忘れられたらどんなに楽だろう夜眠られないこともないだろうと思う。
どうしたらいいのだろう、という人がいます。
皆さんはどうしたらいいと思いますか?
アドバイスは基本的に、アドバイスする側の経験と性格によってなされるものでしょう。
その人がそういうやり方で解決できたとしても、それが万人に当てはまるものではありません。
結局は、聞いた本人がそこから何を汲み取り自分には何ができるのかを自分で決めていく以外にありません。
考えた結果、私のアドバイスは、
「相手の言葉を嫌な言葉だなと自分が感じ、そういう考えとそういう態度は私はしたくない、と、反面教師として学ぶための時間だったのだと受け止めることはできないか」ということです。
相手の話を聴いてストレスを感じるのは、嫌な言葉を聴いている時間の苦痛と、それに言い返せない自分に対する忸怩たる思い、そして、眠れないほど悩んでしまう自分の性格に対する自己嫌悪から来るものではないでしょうか。
なので、そんな自分を「それでいいのだ」「自分の気持ちを確認し、学べたんだから、無駄な時間でもなかったのだ」と自分を認め、自分を許してあげられればストレスも少しは解消し、眠れるのではないかと推量しますがいかがでしょうか。
過去と相手は変えられない、変えられるのは自分と未来だけ。
ストレスは万病の元ともなりますので、何らかの方法で自ら消化していかなくてはなりません。
過去を引きずったままでは、今という時間を精いっぱい生きることが難しくなります。
ふと思いました。
ゴミ箱に放って外れたゴミを拾って箱に入れながら、「最初からしっかり入れていれば余計な手間をかけなくて済むのに、ずぼらをしたためにかえって難儀する」と自嘲することはないでしょうか。
そんな同じことを何度も繰り返してしまうのは、学習能力よりもずぼらが勝ってしまうということだと思います。
ずぼらをするとかえって手間がかかるという典型ですね。
使ったものを元の場所に戻す。使い終わったものはすぐに片づける。そんなこまめな行動はむしろ後の楽につながるものだと思いますが、ついついそのままにして後悔することになります。
もちろんそういうことが苦手な性格の人もいます。
だとすれば、気がついた人がすればいいだけのことです。片づけないのが自分ではなく相手だとしても、そのことでストレスを感じるのは相手ではなく自分ですから、自分がストレスを感じないようにする方が得策だと思います。
相手が片付けない物を自分が片づけなければならないことがストレスなのだ、というかもしれません。
まあ、それでも、できる人がやる方がうまくいくと思いますよ。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。