なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ379 出家しませんか

2022年08月21日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第379回。8月21日、日曜日。

静かなお盆が過ぎました。
先祖の香りに包まれて心穏やかな時間を過ごされたでしょうか。
感染症で帰省できなかった方は、ぜひ来年には戻れますことを祈ります。

 けれど年に2回 8月と1月
 人は振り向いて足をとめる 故郷からの帰り
 束の間 人を信じたら
 もう半年かんばれる  (中島みゆき『帰省』)


「しかし百姓はいそがしくてやんだぐなる(嫌になる)、毎日毎日追われてたいへんだなあ」。会うたびにグチをこぼす農家が今日もまた。
確かに、農業はほとんど自然相手ですから、恵みを受けるのも被害を被るのも天任せというのは事実で、時には自然に追われることも。
そして「お寺がいちばんだな」と。
住職がふらふら散歩しているのを見ればそう思うことでしょう。
本当にそう思います。
私など、和尚として生きることが楽しくて仕方ありません。
どんな職業も楽だというものはないと思われますが、職業を離れた生き方として和尚は確かに楽だと思います。
なので、今の仕事が辛ければ、和尚になるという選択もあります。
修行道場で2~3年我慢すれば和尚の資格は得られます。
年齢制限はありません。50でも60でも遅くはありません。
頭を丸めて、衣服をお袈裟に着替えるだけです。
ただ、それまでの経験や知識は全て捨てなければなりません。バカにならなければ辛い思いをすると思います。
「なぜこんなことをしなければならないのか、なぜそんな言われ方をしなければならないのか」と考えてしまえば辛くてやってられません。
以前校長先生を退職してから永平寺に修行に来た方がいました。どうしても永平寺で修行してみたかったと。
老僧は、自分の子どものような先輩僧に怒鳴られて、「そんな指導の仕方はおかしい、そもそも教育というものは…」と教育論を論じたと聞きました。
経験と知識があるだけ辛かったと思います。考えることを捨ててバカにならないとやってられません。
ヤクザあがりの人が来たこともありました。1週間もたたないうちに「甘かったですね」と言って帰っていきました。
どんな意志だったのでしょうか。しがらみがないだけ諦めるのも早かったようです。
それでも我慢して和尚になったら、後は人の幸せのために生きるだけです。
自他の垣根が低くなり、人の幸せを願って生きることはうれしいことです。
損得や勝ち負けのない世界は本当に楽です。大きく息を吸い込むことができます。
「放てば手に満てり」です。
和尚は職業ではありませんが、生き方の選択肢としてはあるかと思います。
今からでも遅くはありません。もしその気になればご相談ください。

農業もサラリーマンも、「やらされている」と思えば辛いですね。
もちろん、強制労働を強いられる世界もあります。それはもう地獄でしょう。
そうでなければ、どんな職業も自分の選択のはずですから、自分の仕事、自分の役割として自発的に向き合ったら、やらされてる感は減るでしょう。
労働を金銭の対価と見て生活のために仕方なく働く、と考えれば仕事は楽しくないと思います。
楽しい仕事をする、あるいは楽しく仕事をする、そうでなければ、人生の大半の時間が辛い時間になってしまいます。
彼の農家は後期高齢者で、サラリーマンであればとうに退職しているわけですが、農業であればこそ目の前にやることはあり、やればやった分お金になり、そのために農作物に追われてやらされてる感となり、辛いとグチをこぼしてしまうのでしょう。
「ありがたい。この歳まで働くことができる。役に立つことができる。農業はいいものだ」と考えることはできないのですね。
体に合わせて辛くない程度に働くこともできそうな気がするのですが。
そう考えれば、別に出家しなくても心構え一つで楽しく仕事ができるかもしれません。
「和尚は気楽なものだ」と鼻で笑われるだけでしょうから独り言に留めておきます。

感染拡大が止まりません。
ピークがどこなのか、先が見えないことでモヤモヤが晴れません。
6月に予定していた松林寺集中講座を延期して9月に開催するつもりでしたが、それもやむなく中止することを決断しました。
チラシを準備して実行委員会開催の通知まで発送していましたが、実に残念です。来年こそはと思います。

因みに、曹洞宗東北管区教化センターのテレフォン法話「こころの電話」が、本日21日から31日までの日程で私の担当です。『薫習(くんじゅう)』と題した法話が流れます。よろしければ聴いてみてください。
電話番号:022-218-4444です。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。