なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ433 自分の土俵

2023年09月10日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第433回。令和5年9月10日、日曜日。

急に涼しくなってきました。
今朝の本堂は22℃でした。
暑さから解放されて清々しいのですが、どこか寂しさを感じるのはどうしてでしょうか。
いつも不思議に思います。気温と水温の関係。
気温が40℃は危険な暑さと言われますが、風呂の温度40℃はちょうどいいというか少しぬるめに感じるかもしれません。
室内プールの適温は29~31℃とされているようです。
30℃、気温であれば暑く感じる温度ですが、水温では体が冷えてしまうでしょう。
サウナの中の温度は90℃ぐらいですね。熱いと感じますが数分間は入っていられます。
ところが、いくら熱い風呂が好き、サウナが好きといっても、90℃のお湯に入ることはできません。
その違いは何なのだろうと不思議に思うのです。
気体と液体では肌への密着度が違うということですかね。
ちょっと調べてみると、空気と水では熱伝導が違うからだということのようです。
体温に対して対象の温度が低い場合は、体温から熱が奪われるとき「冷たい」と感じる。空気に比べて液体の方が熱伝導率がいいので熱が早く奪われ冷たく感じる。逆に高い場合は、熱が体に移動してくるので、伝導率の高い液体の方が「熱く」感じるのだと。
しかし、気温40度が快適に感じないのはなぜでしょうか。
お風呂は41℃、気温は25℃ぐらいがちょうどいい、快適な温度だと感じます。
ぬるま湯の中でグダグダするのも気持ちいいけどね。

人生もぬるま湯がいいと感じるようになりました。
あまり刺激のある日常より、のんびりグダグダの毎日が楽で気持ちいいです。
終末期・林住期に入ったのだと思います。
成果がどうしたの、何を遺したのはどうでもいいです。
地位も評価もなにもいりません。
夏も冬もなく、春と秋ばかりならどんなにいいかと思います。
冬がなければ春の喜びが薄れる、夏がなければ秋が麗しく感じられない。
それは分かりますが、それでもいい。
ぬるま湯の中で最期が迎えられたらいいでしょうね。
歳相応のあり様に身を任せたいと思います。

自分の土俵というものがあると思います。
このブログをどういう人たちが読んでくれているのか、はっきりは分かりません。
時々出てくる仏教の話を、その知識がない人が読めば難しいと感じるかもしれません。
仏教の専門家が読めば、程度の低い一般論だと鼻で笑われているかもしれません。
しかし、私にとっては、背伸びしている訳でもなく、大衆に迎合している訳でもなく、感じたことありのままを割りと素直に書いているものです。
これが精一杯というか、これ以上のこともこれ以下のことも書けません。
誰かと比べたり、誰かに褒められたり(褒められたい気持ちはありますが)することを目的にしているわけではありません。
むしろ、自分の考えをまとめたり、不確かなところを調べて学んだり(プールの適温とか)、法話の勉強にもなると思って自分のために書いているものです。
ですから、この同じ土俵がちょうどいいと思ってくれる人に読んでもらえばそれでいいのです。
幕下の力士が幕内上位の力士と同じ土俵に上がっても相撲にならんでしょう。
幕下は幕下で相撲を取ればいいのです。
上と比べて卑下することも、下と比べて奢ることもなく、一日一番、その時の実力を出し切ればいいのです。
その積み重ねの結果、幕下優勝と成るかもしれません。その結果、十両、幕内、三役と昇進するかもしれません。
それは結果です。
結果を意識しすぎて目の前の星を落とすことがあることを何度も見てきました。
相撲は実力の世界、親方におもねったからといって番付が上がるわけではありません。
大きなグループに入ればいい役が回されるわけでもありません。
力士一人ひとりの精進努力以外に結果が左右されることはありません。
本当に、一日一番。その日の土俵にかける以外ないのです。
みなさん自身の土俵はどこですか?今日の一番どう立ち会いますか?
誰に何を批判されようとも、鼻で笑われようとも、今の自分に正直に、今できることの精一杯、土俵にしっかりと足をつけて、足の裏で砂をつかんで立ち会うしかありません。
このブログは私の土俵です。
今日もまわしを引き締めて立ち会いました、かな?
人生は素人による本番一本勝負。
ハッケヨーイ、ヨイ!

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。