なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ364 文章を書くという行為

2022年05月08日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第364回。5月8日、日曜日。

当地では特産のアスパラガスが出始め、少しずつ収穫の時期を迎えています。
その矢先、先日の降雪で被害も出ました。
春一番のアスパラガスは、山菜やほかの野菜も同じだと思いますが、とにかく冬の間にため込んだ甘みと栄養分が濃い味で、春の喜びを増幅させてくれます。
来週には田植えも始まるので、その準備で農家は忙しくなっています。朝のんびり散歩しているのが申し訳ない感じで、肩をすぼめて歩いています。

先週はお騒がせしてしまい失礼しました。
皆さんにご心配いただきましたが、もうほとんど恢復しました。
かかっている接骨院の先生も、しばらく時間が必要かと思っていたが驚くほど早いとのこと。
それとも、本人が大げさに痛がるだけでそれほどのケガでもなかったのかも。
いや、本当に、体を動かすたびに痛かったのですよ。
倒れる時に、危険を察した体が一瞬に硬直するのだそうで、固まった筋肉が動かすときに痛みを発するのとのことです。
肉離れはさほどのダメージではなかったようです。
今は、固まった筋肉をほぐす治療を進めています。
いずれにせよ、この程度で収まったのはありがたいことです。
今年同じようなケガが2度目ですから、3度目がないように気をつけなければなりません。

昨日は、法類である真室川町長泉寺さんの法要でした。
16世住職の100回忌で導師を勤めさせていただきました。
16世大仙嶺芳大和尚は、安政5年西村山郡西里村庄司源七次男として生まれ、会林寺玉山桂鷹の法を嗣ぎ長泉寺の住職となります。
その後吉田清龍寺に転住し21世、さらに谷地宿用院に転住して36世を最後に65歳で示寂しています。
私が宿用院39世ですから、私の3代前の住職ということになります。
明治時代までは住職は妻帯しませんでしたから、寺に家族というものはおらず、修行道場としての面目を保っていました。
住職も1カ寺に留まることなく、転住を繰り返していました。いわば「縁あれば住し縁なくば去る」というような掛錫が当たり前でした。
転住がどのようにして決められていたのか定かではありませんが、そういう条件下では、住職と檀家の関係にも緊張感があったでしょうし、また、愛着というか、せっかくいい関係ができたのに離れなければならないという落ち着かない関係でもあったかもしれません。
現在の場合とどちらがいいのか、判断はできませんが、何しろ今は、子どもが少なく、口減らしのためにお寺に預けられるという状況でもなく、弟子は自前で何とかしなければならないという時代です。
ついでですが、宿用院は今年、開山500年を迎えその記念法要を企画しているようです。その際は、併せて36世100回忌も勤めることになるでしょう。

今日5月8日は、松林寺恒例の月遅れの花まつりです。
参拝者は花を一輪ずつ持ち寄り水盤に飾ることにしています。
花壇や野の花など色々な花が集まり、来た順に活けていくのですが、多様な社会のようにそれなりに形になっていくのでおもしろいと思っています。
もちろん、本来は4月8日ですが、当地ではまだ花が咲かないので月遅れにしているという訳です。
花御堂も今咲いている花できれいに飾り付けます。
お釈迦様、誕生してくれてありがとうございます。
今の世に生まれてくれていたなら、世界中の人から救いを求められ、闇夜を照らす灯となっただろうと思われます。
今は、その教えを灯としていかなければなりません。

今月中に仕上げなければならない原稿が4本、来月に1本あります。
1本は何とか書き上げたのですが、なかなか集中できずに期限ばかりが迫ってきます。
毎週のブログもあります。
文章を書くのは嫌いではありません。
これも慣れというのがあると思います。
法話の原稿をつくるのも文章ですから、文章に慣れるというのが法話の勉強にもなります。
ブログを書き始めてから文章に慣れてきたのは間違いありません。
文字や言葉を選ぶのは頭の中で文章を書きながら校正するわけですが、そういう神経細胞を使わないとどんどん退化していくでしょう。
逆に、常に使っているとその神経のつながりが太くなるのだと思われます。
ただ、常に頭の中で文章を書いている状態でもあり、面倒くさく感じる時もあります。
人はものを考える時には言葉をつなぎ合わせて文章として考えているわけですから、考えているということは文章を書いていることになります。
ただすぐ忘れていまうので、口から言葉として出すときには支離滅裂な話になってしまったりします。
頭に浮かんだ文章を、紙に書くとかパソコンなどで打つということで、頭の中が整理され、考えがまとまるということもあるでしょう。
脳の中身を一度外に出して、視覚的にあるいは聴覚的に眺めるという手順が必要なのかもしれません。
私は今それをやっているのですね。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

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