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♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
12月24日、日曜日。
明日が2000年前に生まれた方の誕生日ということで、今晩はその前夜祭だそうです。
楽しみにしている人々がたくさんいることでしょう。
イスラム社会では関係のないことでしょうが。
日本も本来は冬至カボチャを食べて静かに過ごすぐらいの社会だったのだろうと思いますが、懐が広いというか節操がないというか、宗教でも文化でも何でも取り入れて楽しむというか商売のタネにしてしまうところがあります。
以前おつき合いのあった、曹洞宗のお坊さんとして出家したアメリカ人の尼僧さんが、「こっそり友だちとクリスマスやってるの」と笑っていたことがありました。
何はともあれ人が生まれるのはおめでたいことです。
女をば 法の御蔵(みくら)というぞ実(げ)に 釈迦も達磨も ひょいひょいと産む
という一休禅師の歌がありましたが、歴史上の人物聖人、人間として生まれたものは、全て母親から生まれてきました。
正確ではないですね。女性が子を生んで母親になったのですね。
そう考えれば、女、女性とはどれほどの力を持っているのでしょうか。
釈迦も達磨もキリストも生んでしまうのですから。
宇宙をも生みだす力を含んでいるような感じですか。
諸人よ 思い知れかし 己が身の 誕生の日は 母受難の日
という詠み人知らずの歌もあります。
ひょいひょいと産むとは言っても、それは言葉の綾というもので、犬猫のように簡単に産むわけではありませんね。
命がけで生んでくれたことは間違いありません。
犬猫の出産が簡単かどうかも本人に聞いたことがないので知りませんが。
だから今晩から明日、誕生を祝うというよりも、受難した母親をいたわり称える方がいいように思います。
自分で生まれたのではなく生んでいただいたのですから。
お釈迦様の母君は、我が子を生んで7日目に亡くなったとされます。
お釈迦様は、母君マーヤ夫人が結婚してから20年目に授かった子だと言われます。
父君のスッドーダナ王様は喜んで「やった、やった」と歓喜の声をあげ、それがそのまま王子の名となり「シッダールタ」と命名されました。
伝記に、マーヤ夫人が何歳で結婚し何歳で出産したのか明記しているものを見たことはありませんが、おそらくは当時の風習としてかなり若くして結婚したものだと思われます。
それでも、たとえ10歳で結婚したとしても20年も経てば30歳になるわけですから、当時としてはいわば高齢出産だったと言えるでしょう。
かなりの難産だったということで、間もなく亡くなってしまわれました。
マリア様、ふとマリアとマーヤは似てるなと思いつつ、
マリア様の出産の様子はどうだったのか知りませんが、子を生むということが、洋の東西を問わず、時代がいくら変わっても、これだけは変わらない大事業なわけで、お釈迦様の母君もキリスト様の母君も、私たちの母親と同じく苦労の末に生んでくれたわけです。
聖人の陰に聖母ありですが、人間にとっては全ての母が聖母であると思います。
うちは同居の子どももいないし、仏教徒だし、どうでもいいのですが、今日の夜を単なるお楽しみ会にするのではなく、そういう意味で考えてみたらいかがかなと思ってしまいました。
うちの聖母は元気です。
100歳まで生きる時間をどう過ごすかと心配しているようですから、もう立派で「おせいぼ」というぐらいなものです…。
お後がよろしいようで。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
12月24日、日曜日。
明日が2000年前に生まれた方の誕生日ということで、今晩はその前夜祭だそうです。
楽しみにしている人々がたくさんいることでしょう。
イスラム社会では関係のないことでしょうが。
日本も本来は冬至カボチャを食べて静かに過ごすぐらいの社会だったのだろうと思いますが、懐が広いというか節操がないというか、宗教でも文化でも何でも取り入れて楽しむというか商売のタネにしてしまうところがあります。
以前おつき合いのあった、曹洞宗のお坊さんとして出家したアメリカ人の尼僧さんが、「こっそり友だちとクリスマスやってるの」と笑っていたことがありました。
何はともあれ人が生まれるのはおめでたいことです。
女をば 法の御蔵(みくら)というぞ実(げ)に 釈迦も達磨も ひょいひょいと産む
という一休禅師の歌がありましたが、歴史上の人物聖人、人間として生まれたものは、全て母親から生まれてきました。
正確ではないですね。女性が子を生んで母親になったのですね。
そう考えれば、女、女性とはどれほどの力を持っているのでしょうか。
釈迦も達磨もキリストも生んでしまうのですから。
宇宙をも生みだす力を含んでいるような感じですか。
諸人よ 思い知れかし 己が身の 誕生の日は 母受難の日
という詠み人知らずの歌もあります。
ひょいひょいと産むとは言っても、それは言葉の綾というもので、犬猫のように簡単に産むわけではありませんね。
命がけで生んでくれたことは間違いありません。
犬猫の出産が簡単かどうかも本人に聞いたことがないので知りませんが。
だから今晩から明日、誕生を祝うというよりも、受難した母親をいたわり称える方がいいように思います。
自分で生まれたのではなく生んでいただいたのですから。
お釈迦様の母君は、我が子を生んで7日目に亡くなったとされます。
お釈迦様は、母君マーヤ夫人が結婚してから20年目に授かった子だと言われます。
父君のスッドーダナ王様は喜んで「やった、やった」と歓喜の声をあげ、それがそのまま王子の名となり「シッダールタ」と命名されました。
伝記に、マーヤ夫人が何歳で結婚し何歳で出産したのか明記しているものを見たことはありませんが、おそらくは当時の風習としてかなり若くして結婚したものだと思われます。
それでも、たとえ10歳で結婚したとしても20年も経てば30歳になるわけですから、当時としてはいわば高齢出産だったと言えるでしょう。
かなりの難産だったということで、間もなく亡くなってしまわれました。
マリア様、ふとマリアとマーヤは似てるなと思いつつ、
マリア様の出産の様子はどうだったのか知りませんが、子を生むということが、洋の東西を問わず、時代がいくら変わっても、これだけは変わらない大事業なわけで、お釈迦様の母君もキリスト様の母君も、私たちの母親と同じく苦労の末に生んでくれたわけです。
聖人の陰に聖母ありですが、人間にとっては全ての母が聖母であると思います。
うちは同居の子どももいないし、仏教徒だし、どうでもいいのですが、今日の夜を単なるお楽しみ会にするのではなく、そういう意味で考えてみたらいかがかなと思ってしまいました。
うちの聖母は元気です。
100歳まで生きる時間をどう過ごすかと心配しているようですから、もう立派で「おせいぼ」というぐらいなものです…。
お後がよろしいようで。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。