Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は終日雨の予報

2021年06月03日 23時41分28秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 夕食後に20分程度のいつもの夜のウォーキングを使用としたが、予報よりも早く21時過ぎから雨が降り出して断念。
 今も最大5ミリ程度の雨の区域が南から押し寄せてきている。現在は強い雨ではないが、明日はかなり強く降るという予報であった。
 明日は終日家籠りになるのであろうか。

 1日の夕刻に印刷所に送信した退職者会ニュースの校正刷りができれてくればありがたいが、それは無理と思われる。一日読書タイムとするのもいい。


「図書6月号」 その2

2021年06月03日 23時19分06秒 | 読書



 本日公園の木陰で読んだのは、以下のふたつ。

・ガブリエル・フォーレとサロン     青柳いづみこ
 先週からちょうどフォーレの室内楽を聴いているので、これまで読まなかった青柳いづみこ氏の連載に目を通した。ネットでは得られない情報もあり、興味深かかった。
 ラヴェルやドビュッシーなども関係する複雑な女性関係があり、後世の私などにはどういうものかとんと見当もつかないのであるが、筆者はのちにドビュッシーの妻となる歌手エンマ・バルダックの娘はフォーレの子であったという立場である。
「こんな裏のエピソードを知ってしまうと、音楽が純粋無垢なだけに空恐ろしくなる」と記している。たしかに作品からうける印象と、女性関係の複雑さの落差はあるかもしれないが、かといって、それが作品の魅力とは無関係であることは、ここであえて記しておいたほうが良いと思う。

・理想なき現代の喜劇          長谷川 櫂
「今人類の頭上にはぼろぼろに敗れた自由と平等の旗が空しくはためいている。」
「驚くべきことが2017年4月の(大岡信の)死の直後に起こった。「大岡信ことば館」の閉鎖が突然決まったのである。「ことば館」は8年前(2009年)教育産業のZ会が原稿や美術コレクションを譲り受けて大岡の故郷の三島駅前に閉館した。みずから始めた「ことぱ館」という文化事業を、無神経にも大岡の死の直後に放り出す。これも理想を喪失した現代の空気が運だ喜劇である。」
 この最後の文章、事実経過については私は筆者記した経過しか知らないので、是非の判断は保留はしておくが、なかなか辛辣である。

 今月号はこれにて終了。16編の内9編に目を通した。


公園の木陰で至福の時間

2021年06月03日 20時27分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 足の筋肉に疲労感があり、昨日・一昨日とウォーキングは1万歩程度にした。本日は筋肉の疲労感や悼みはなくなり、3日ぶりに1万5千歩ほど歩いた。しかし急に早足というのはよくないので、30分で3千歩あまりと割とゆっくりと歩いた。

 岩波書店の「図書7月号」を持って喫茶店で読もうとしたら、満員。ウォーキングの折り返し点近くの公園のベンチで一服。ペットボトルのお茶と小さな豆乳のパックで200円ほど。そしてリュックの片隅にあった小さなのど飴1個。喫茶店よりも安く、そして木陰で気持ちがよかった。ただし蟻が1匹靴の中に入り込んで、かかとがムズムズしてびっくりした。

 本日の最高気温は横浜で26.9℃。湿度は45%と過ごしやすかった。ベンチは大きな欅の傍であった。梅雨明けならば蝉が喧しいが、静かな昼下がり、隣のベンチでは近くの建売住宅で働いている若い職人が3人ほどで一服していた。子どもの姿もなく、大人だけの静かな時間、喫茶店よりもずっといい時間であった。


「日経サイエンス7月号」&「図書6月号」

2021年06月03日 14時02分03秒 | 読書

 午前中は「日経サイエンス7月号」と岩波書店の「図書6月号」を読んで過ごした。外は明るく穏やかな陽射し。ただし本日も25℃を超え、夏日になるらしい。



 「日経サイエンス7月号」では、今回は特集の「太陽系誕生の謎を探る」を興味深く読んだ。もう一つの特集「ヒトバイローム」も目を通した。生物についてはもともとの知識がきわめてあいまいなので(他の分野も同様だが、それ以上に)読みこなせた、というよりも「目を通した」と表現しておく。
 他の記事もいくつもつまみ食いはできた。



 「図書6月号」は
・[表紙] 生まれて初めて見た笑顔の夢   司  修
「なんでもかんでも私の人生行路は遠まわりしてしまうのです。松山の小さな酒場で店主のお婆さんから、内子のお化け話を聞きました。遠まわりにはおまけがつくものです。」

・壮大な物語群との出会い         森見登美彦

・「源氏物語」と地図            田村 隆
「そもそも「源氏物語」には旅の道行に関する記述が少ないことが従来から指摘されている。」「(高橋文二「場所としての地名から象徴としての地名へ」で)「もやは地名はこの物語にあっては想念を刺激する記号のようなものに過ぎないのであって、具体的な風土のにおいなどほとんどないと言ってよい‥」と述べて、歌枕としての歌物語的な時空との響き合いを指摘する。地図の登場はそれまで歌書や地誌を通じて接していた歌枕を、新たに「地名」に変換して示すことを意味した。」

・「痛勤」のゆくえ             高嶋修一

・恐怖と不安が私を呼んだ         大前粟生

・魯迅の「不安」(上)            三宝政美
「「私は仰天した。同時にある種の不安と感激に襲われた。(「藤野先生」) 魯迅がこの時覚えた
不安」とは何なのであろうか。そもそもその漠然たる「不安」は、藤野先生の最初の授業から胚胎していた。」
「入学して、一年は何事もなく過ぎようとしていた。‥子弟の絆は確実なものへと結ばれていった。クラスは表面穏やかであり、「不安」は魯迅の思い過ごしかと思えた。」
 この論考は、来月号以降おおいに期待したい。

・「荒地」のインフルエンザ        赤木昭夫

 本日は以上の7編を読んだ。