Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「近代絵画史(上)」(高階秀爾)から その3

2021年06月20日 23時24分23秒 | 読書

   

 本日は「近代絵画史(上)」(高階秀爾)の第7章「印象派の画家たち」、ならびに第8章「印象主義の超克」の途中まで。
「印象派の画面は、多彩な虹の七色の交錯する万華鏡の世界になってしまった。合理的な空間構成の意識もなければ、形態把握の意志もない。あるのはただ、ほんのわずかの色調の差異にも鋭敏に反応する感覚世界だけである。モネの晩年の作品を前にして、ほとんどめまいにも似た陶酔を覚えるのも、そのためであろう。それなればこそセザンヌは、モネのその「眼」をあれ歩ざまで小用したのである。モネほど徹底して「ひとつの眼」になりきることのできなかった画家たちが、印象派の感覚世界にあきたらず、あらためて合理主義的な、知的な秩序と構成を求めるようになったのも、当然の成り行きであった。‥印象派の仲間の間におけるその代表的な実例を、セザンヌとルノワールというふたりの優れた天才の作品に見ることができる。」
 そしてルノワールとセザンヌ論に筆が進んでいく。セザンヌの言葉として「絵画には、ふたつのものが必要だ。つまり眼と頭脳である。この両者はお互いに助け合わなければならない。その両者の相互的発展のために、画家として務めなければならない。すなわち、眼は自然に対するヴィジョンによって、頭脳は表現手段の基礎となる組織された感覚の論理によって‥」という言葉を引用している。
 私はどうしてもルノワールの作品は敬遠してしまうのだが、高階秀爾の評価をじっくりと読みたい。明日以降に期待することにした。
 だがセザンヌの有名な「モネはひとつの眼だ。絵描き始まって以来の非凡なる眼だ」という評も、「眼」と「頭脳」というふたつの言葉を合わせて考えると、興味深いものとなる。


お礼 過去最大の訪問者を記録

2021年06月20日 20時10分45秒 | 読書

 昨日どういうわけか訪問者が926名とおそらくこれまでの最大の数を記録した。gooのブログでの順位でも490位とこれまででもっとも高い順位となった。
 そして気が付いたら、これまでの累計閲覧数が550万を超え、累計訪問者も130万を超えていた。ほぼ12年間でずいぶんと多くのかたの目に留まったことがうれしい。
 まず、訪問されてもらったかたに心から御礼を申し上げるとともに、引き続きの訪問とご意見をお願いしたいと思う。
 一昨日・昨日と訪問が多かったのは、それぞれ「雨に似合う花」と「集団スポーツ嫌悪症」。とくに後者にはツィッターでもフェイスブックでも反応がさまざまにあった。これは予想外であった。反応があったことが、同意とは限らないとは思うが、意外と体育の授業や教師に嫌な思いをしたかたが多かったのだと思っている。
 同時に日本で特有なのかどうかは分からないが、集団主義、同調圧力、皆と同じでないと許されない社会の発端がここにあるような気もしている。

 再度、引き続きのご訪問をお願いします。

昨日と昨日までの記録
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ワクチン第1回目終了

2021年06月20日 16時35分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 COVID-19のファイザー社製のワクチンの1回目の接種が終了。接種後は運動は控えたほうがよいので、午前中に8千歩あまりのウォーキング。
 午後からまずは、私の親を接種会場に送ったのち、その足で自分の接種会場までは歩いて10分の距離。
 受付、予診票の確認、問診、接種、待機とスムーズに進行。体育館なので、親の接種会場(公会堂)よりは広く感じた。親の付き添いは妻にお願いした。

 15分の待機が終わって会場からバス停までの10分ほどの歩行は少しフワフワして、足が値につかないような感じがしたが、バスを待っている間にそのフワフワ感は消えた。
 バスを降りてからも、ゆっくりと歩いて自宅までの坂道を登った。

 明日は朝9時前に家を出て16時過ぎまでは組合の会館内で会議の連続。体もかなり動かさなくてはいけないので、本日はこれから休養。
 妻の経験でも、私の親の経験でも二日目はそれなりにだるさや痛み、腕の上げ下ろしの違和感があったようだ。親は若干の発熱もあった。三日目には二人とも回復していた。
 今回、私の親が二回目なので、明日は少々心配である。

 私の次回の接種は三週間後の7月11日。本日と接種会場が変わる。少し近くなり、バスの便も少しだけ良くなる。