先週だっただろうか、二人で買い物に出かけ、あるデイサービスの前を通りかかったら、「僕等の名前を覚えてほしい 戦争を知らない子供たちさ」という歌声が聞こえてきた。思わずあたりをキョロキョロしたが、デイサービスの中からしか聞こえてこない。
妻と顔を合わせて、きょとんとしてしまった。北山修の作詞、杉田二郎の作曲で1970年だったかに盛んに歌われたいわゆるプロテストソングである。
51年も前の歌である。昔、私が学生の1972年の学費闘争で、学生大会の決議に沿って翌日にバリケード封鎖を始めた。私は一緒に議長をした法学部の仲間と大会報告のビラを巻き終わってから、机を教室に積み上げていた仲間に合流した。そのとき議長を一緒にした仲間が、この歌を歌いながら机を積み上げ始めた。
あのどちらかというと寡黙で歌など歌いそうもない彼がこの歌を上手に歌うのを聞きながら思わず笑みが私の口から漏れたことを思い出した。この歌はどちらかというと当時の共産党系の学生の歌う歌ともいわれていた。にも拘わらず、ヘルメット姿がすっかり似合う仲間がふと歌いだしたことに驚いたものである。
今から思えば、のどかなバリケード封鎖の開始であった。多くの学生も文句をいいに来ることもなく、教授たちも教室にあらわれることなく、学生による封鎖はあっさりと出来上がった。学生大会での「無期限バリケード」闘争の始まりであった。
前日の緊張した学生大会の、不安と期待の入り混じった興奮から一夜明けて、構内はざわつきつつも平穏な日常の延長のような日であった。これを見越したかのように長期アルパイトの契約をして学内に顔を出さなくなった学生も多かった。彼らは逆にこの事態を歓迎もしていた。
私はそんなことを思い出しながら、この歌を聞いた。妻は、東京で学生運動とはまったく無縁の学生生活を送っていたが、この歌は幾度も聞いたことがあるそうである。
妻がいうには、まさか認知症や介護が必要になった人たちの通うデイサービスからこんな歌が聞こえるとは思ってもいなかった、としんみりとしていた。妻の「切ない」というため息が、重かった。
私は誰がこの歌を歌うことを決めたのかと思った。30代40代の職員がこの歌の歌われた時代を知っているわけもない。年寄りがこの歌をどのように受け取るのか、どのように唱和しているのか、そして歌を指導している人がどのようにこの歌を捉えているのか、なんともいえず不思議な世界に迷い込んだように思った。私がデイサービスに通うようになったとして、この歌を歌おうといわれてもきっと歌わないだろう。
二人で顔を見合わせながら、51年前からいままでにそれぞれがどのような体験をしたか、それぞれの胸の内で反芻しながら、スーパーに向かって再び歩きはじめた。
戦争を知らない子供たち 詩 北山修
戦争が終わって僕等は生れた
戦争を知らずに僕等は育った
おとなになって歩き始める
平和の歌をくちずさみながら
僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たちさ
若すぎるからと許されないなら
髪の毛が長いと許されないなら
今の私に残っているのは
涙をこらえて歌うことだけさ
僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たちさ
青空が好きで花びらが好きで
いつでも笑顔のすてきな人なら
誰でも一緒に歩いてゆこうよ
きれいな夕日が輝く小道を
僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たちさ
戦争を知らない子供たちさ