「フィレンツェ 初期ルネサンス美術の運命」(高階秀爾、中公文庫)を読み終わった。
いつものように覚書として。
「かつて19世紀においては、ルネサンスは何よりもまず「個人」の発見の時代であると考えられていた。事実それは傑出した政治家とか、卓越した芸術家とか、優秀な学者、そして時には英雄的な傭兵隊長等、優れた個人の支配した時代であった。その点においてこそ中世と異なると‥。しかしながらルネサンスは、「個人」の発見であったと同時に、おそらくはそれよりももっと深い意味において「人間」を発見した時代である。すべてが神を中心として仕組まれていた中世にとって代わっても、今や人間が世界の中心となり、人間的なものの見方が支配的となった。‥絵画において、一定の視点から眺めた統一的な視覚像としての透視図法が発達したことも、このような人間中心的な世界観と無縁ではない。だが、‥それどころか、この時代の優れた思想家たちは、例外なしに人間を超えた世界、「神」の世界に強い憧れを抱いていた。完全無欠な神の前で、人間の存在がいかに矛盾と誤謬に満ちた不完全なものであるかということをかっきりと認識していた。‥ルネサンスにおける人間の発見とは、人間が神にとって代わったというのではなく、神と動物との間に明確に人間を位置づけたということであり、そこに人間としての尊厳と誇りを見出したということなのである。」
「レオナルドは、芸術活動をあくまでも人間の基本的条件と結びつけており、芸術の中に人間存在の反映を見ているのである。」(芸術とユマニスム)
本書は、15世紀のフィレンツェという町が、ルネサンス盛期を準備する数多くの革新を生み出しながら、最終的な栄光を他の町に奪われるという運命とその原因を叙述したものであるが、私は初期ルネサンスを解説した書物として読ませてもらった。その点でも多くのことを学べたと思う。
朝から雷・強風・波浪注意報。最大10ミリ程度の雨が続いていたが、夕方以降とときどき雨が上がることもある。しかし風は依然強い。13時過ぎに最大瞬間風速が18mの南南東の風が吹いた。
地下鉄に乗って、横浜駅そばの喫茶店に行ってみた。予想通りガラガラでゆったりとした1人家を過ごすことができた。
出かけるときは風で傘がとばされそうになり、傘をすぼめて歩いた。帰りはそれほど強くは感じなかった。だが、出かける前も、帰宅した今も風の唸り声は変わらない。
レインアイよこはまの画面を見ると、今降っている雨があがるとしばらくは雨の区域が途切れそうだ。夜には風もやみ、雨があがるとうれしいが、天気予報では日付が過ぎるまで降るといっている。風が止むのも望み薄といったところか。
朝から読んでいたのは、「フィレンツェ 初期ルネサンス美術の運命」(高階秀爾、中公文庫)とあらたに「異形のものたち 絵画のなかの「怪」を読む」(中野京子、NHK出版新書)。交互に読んだ。喫茶店には「フィレンツェ」を持参。