Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は屋外作業

2021年06月25日 22時53分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日の台風到来は無くなったらしい。明日は団地内での芝刈り・草刈り作業のお手伝い。私のような年寄りでも刈った草を熊手で集める程度はできる。ただし、腰が辛くなるまでの短時間に限られてしまうが‥。あとは集めた草をビニール袋に積めることの手伝いもできる。機会を使った作業は手を出さないほうが、迷惑にならない。

 午前中は晴れて、太陽が顔を出すとのこと。熱中症には気を付けないと、かえって迷惑を掛けてしまう。
 妻は先々週かった我が家の北側の草刈りを行うという。

 本日は明日に備えて、早めに就寝。


マーラー「交響曲第7番《夜の歌》」 2

2021年06月25日 21時13分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 マーラーの交響曲第7番《夜の歌》の第3、第4、第5楽章を聴きながら、夕食後のひと時を過ごしている。私にとっては曲のイメージと《夜の歌》という語感から連想するイメージとは一致しない。私のイメージはもっと平らかで静かで、夜の大気の押しつぶされながら呻吟する世界である。この呻吟する感情の起伏がマーラーではとても激しい波のようなものではないのか、と思う。海の表面の波のようなものではなく、私のイメージは深海の海流のように大きなエネルギーを貯えつつも静かに大きな蛇行をしながら進んで欲しい。
 そこには金管のふるえるような咆哮も、歓喜をもたらす弦の細分化された刻みのような強奏も似つかわしくない。美しい旋律が続く第4楽章も孤立している。
 そんな違和感を抱きつつも、もう少し付き合って聴きたいという思いが湧いてくることも事実である。
 マーラーの曲、いつものことながらなかなか私には手強い。

   


眼鏡をかけ忘れる

2021年06月25日 12時04分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後から血圧の薬を処方してもらいにいつもの内科へ。先月受診時からの血圧の推移表に数値を打ち込み、打出完了。5週間分の入力を一度にするのは疲れる。毎週打ち込んでおけば楽なのだが、どうしても貯めてしまう。小学生の頃の夏休みの宿題と同じである。「毎日コツコツ」というのが難しい。

 先ほどから眼の見え方が変であると思いながら、妻と会話をしていたら、眼鏡をしていないことに気が付いた。髭を沿ったときに洗面台の横の台においたまま、忘れていた。なんとも恥ずかしい次第である。
 白内障の手術のおかげで、遠くは両眼では0.5ほどの視力となり、手元の文字を読まなければ家の中では特に支障はない。しかし文字を読まない時間などほとんどないのに、眼鏡をしていないことに気が付かなかった。新聞は見出しを見ただけ、スマホも見なかったので、気が付かなかったのだろう。

 現役のころは忙しいと、眼鏡を頭の上に持ち上げたまま来客対応や電話応対、書類作成、入力作業などを繰り返していたことはいつものことであった。昼休みになって目の疲れを感じて、眼鏡をかけていないことに気づいたものである。しかし現在はそんなに追われて仕事をしているわけではないのに、こんなことになると自分でも少々心配になる。

 午前中は弱いながら本降りの雨が2度ほど。