Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日から「近代絵画史(上)」(高階秀爾)

2021年06月07日 22時06分45秒 | 読書

 明日にも退職者会ニュースの校正刷りが送られてくることがわかり、ホッとしている。すぐに目を通したいもの。恥ずかしながら、昨晩になって少し訂正をお願いしたいところを思いついた。
 団地の会議の結果、文章を少し考えなくてはいけなくなり、ちょっと仕事が集中してしまった。仕事というのは、どういうわけか集中する。適度に分散してはくれない。現役の時からいつもそうだった。きっと誰もが同じように思っているはずだ。不思議なものである。

 本日から読み始めたのは、「近代絵画史(上) ゴヤからモンドリアンまで」(高階秀爾、中公新書)。今手にあるのは、以前に古書店で購入しておいた旧版。現在新装版が出ており、取り寄せ中。新装版が手に入るまで、旧版を読み始めた。もっと以前に読んでおかなければならなかった教科書的書物でもある。
 新装版は絵がカラーとなっている。内容も少し改定があるかもしれないが、基本は代わっていないと思って読み始めた。今週中には新装版が手に入るはず。


「異形のものたち」(中野京子)読了

2021年06月07日 20時55分45秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日もかなり蒸し暑く感じた。夕方になってからウォーキングと珈琲タイムを兼ねて、一昨日訪れた喫茶店まで歩いた。15分ほどの休息と15分ほどの短い読書タイム。
 午前中に家にいて「異形のものたち 絵画の中の「怪」を読む」(中野京子、NHK出版新書)を読み終わった。
 本書の最後は、ヒエロニムス・ボスの「快楽の園 地獄」と、ピーテル・ブリューゲルの「反逆天使の堕落」が取り上げられている。
 ボスの「快楽の園 地獄」については、「無数の裸体の男女が画面の至るところで戯れているのだから、堕落(=性的放縦)のさまざまな様相を描いたのであろう。」と記している。
 ブリューゲルについては、「一見ボスによく似たクリーチャーたちがひしめいているが、しかし時代が新しくなったことがよくわかる。線描はなめらかで飛翔感があり、ユーモアも洗練されてきている。」と両者を比較している。
 私としては、もう少し細かな解釈があればうれしかった。残念である。


「樫の森の修道院」(フリードリヒ)

2021年06月07日 10時22分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨晩、フリードリヒの作品名で、ウィキペディアでは「樫の森の修道院」となっているが、「異形のものたち」の解説の中では「ブナの‥」になっていると記した。
 その後ネットで他の情報を探した。【art.iroiro】【kokinora】など。いづれも「樫の‥」となっている。あえてこの本の著者が「ブナの‥」とした意味は、これだけでは推測できなかった。

 ブナ‥橅、ブナ科ブナ属の落葉高木
 カシ‥樫、ブナ科コナラ属などの常緑高木
と同じブナ科であるが、属が違っており、落葉と常緑という大きな違いがある。

 以下、私の推測。
 解説では「葉をすべて落とした‥」とあるので、落葉樹の「ブナ‥」としたのかもしれない。しかしブナの樹形はケヤキのようにまっすぐで枝が細く上に伸びている。カシのほうが枝が折れ曲がっており、樹形はこの作品にピッタリである。カシは常緑樹であるから筆者の中野京子はこれに疑問を持ったのかもしれない。
 しかし、崩壊している修道院遺跡と墓場という情景であること、また樹木がこの場面だけ孤立してあることを考えると、「枯れた」木々の残骸という把握が順当ではないか。

 私の判断では「樫‥」をあえて「ブナ‥」と変更する理由がないように思われた。