Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ウィンドウズ11へのしつこい誘い

2022年05月08日 22時32分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ウィンドウズ11にアップグレードするかどうか悩んでいる。ウィンドウズ10で現在は十分にサクサクと動いてくれている。
 アップグレードしてさらに快適に動いてくれるならばありがたい。しかし不具合が生じても困る。また新しい操作性に馴れるまで時間がかかるというのも困る。歳をとって頭が堅くなっているからだと思うが、応用力が衰えているし、これまで操作性への愛着や新しいことへの戸惑いというものも強く感じる。
 ウィンドウズ10の画面にしつこく11へのアップグレードを促す画面が現れる。このおせっかいも煩わしい。「余計なお世話だ」とそのたびに一人でつぶやきながらその画面を消している。

 私はへそ曲がりである。便利だ、おすすめだ、こうすべきだ、と言われると背中を向ける性格である。どうでもいいことを指図されたり、私の意志を考慮せずにおせっかいをされるのがもっとも嫌なことの部類に入る。理屈抜きに嫌である。
 


茨の道

2022年05月08日 20時21分46秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 週明けから天気は下り坂とのこと。水・木・金と出かける予定があるので、雨は最小限出会ってほしい。出来れば降らないでほしいものである。
 沖縄では梅雨に入ったらしいが、週明けからの雨の予報は、走り梅雨を予告しているのだろうか。

 本日こんな俳句があることを知った。

★十字路の黙の行き交ひ街薄暮    薬師寺彦介
★茨咲く少年たりしときの道     同

 1句目、「黙」は「もだ」。俳句特有の省略の言葉だと思う。無口に人が行き交う街の孤独。
 2句目、これは私にとっては切実な句である。茨は、平穏だったとは言えない小さいときの傷跡の象徴であろう。とても親近感が湧いた。少年の時に刺さった棘は忘れられるものではない。生涯それを背負っているのである。それを忘れたくはない。

 


連休最終日

2022年05月08日 18時34分01秒 | 読書

 午前中は私は団地の管理組合の諮問会議、妻は団地の草取り作業に参加。昼過ぎに妻は私の親と一緒に買い物。私はバスでいつものように横浜駅まで出かけた。いつもの喫茶店とはちがう喫茶店で1時間ほどの読書タイムとスマホでメールチェック。
 午前中から陽射しがあり、暖かであった。午後は予報通りに雲が多くなったものの、陽射しがあり、暖かであった。長袖に変えたのを悔やんだ。
 しかし16時過ぎには西空にも雲が多くなり、陽射しが無くなった。半袖では二の腕が寒く感じたかもしれない。

   

 喫茶店では「しぐさで読む美術史」(宮下規久朗)から「肩を組む」「恥じらい」「嘲り」「怒り」「嘆き」「絶望」「酔態」「驚き」の8項目を読んだ。

 横浜駅と東口も西口も人通りが激しかった。コロナ禍とは思えない人出と思うのだが、自分もその中の一人である。自分ながら身勝手な感想だと歩きながら一人で苦笑い。

 横浜駅では16時過ぎから参議院議員選挙の立候補予定者の演説を見守り、名刺交換。意外な人と意外なところで、不思議なつながりがあるものである。