杖を突いて歩くことのつらさや、道路での危険などはこれまでも記載した。今回は別の角度から。
日常生活がおおいに変わった。その第一はきびきびした動作ができないこと。全体に動作がゆっくりになってしまった。私も思っていたことだが、歳を撮った方は動作がゆっくりである。きびきびと動く40代までは、「鈍いな」と心の奥底で思っていたときもある。
50代になって長期入院を経て、退院直後には一時的に動作がゆっくりなったという実感があった。それ以降、高齢者の動作がゆっくりなことを厭う気持ちは消えたとおもう。
そして現在の状況はさらにひどくなった。まずパンツやズボンの脱着がつらい。朝の着替えに時間がかかる。パジャマを脱ぐのに時間がかかる。前かがみになれないので、椅子に座ってズボンを脱いで、リビングテーブルの端に手をかけてズボンを履く。この動作で5分以上かかる。さらに靴下を履くの3分はかかる。右足の靴下は片手でないと履けないので、靴下を右手で引っ張ってやっとの思いで履いている。靴下が敗れてしまったこともある。
ズボンを下げて便器に座るのも同じようにつらい。以前坐骨神経痛になった時に便所に手摺りを突けたので多少は助かっている。この手摺りがなかったらどうなっていたか。
そして浴槽に入ったり、出たりするときも以前につけた手摺りがないと危険である。手摺りがなかったら一人では入れない。しかもしゃがめないばかりか、風呂用の椅子が低いので、座るのも立ち上がるのも手摺りにつかまって掛け声をかけないとできない。お尻を洗うのも苦労している。
お風呂から上がって、パジャマに着替えるのに手間取り、布団に入るときには疲労困憊である。
足の爪を切るのも10分以上かかる。膝が曲げられないので、爪切りが足の指先に届かないのである。気合を込めて腰を曲げ、爪切りが足先に届いた一瞬に爪を爪切りの内部に入れて、思い切って切るという危ない動作を10回繰り返す。とても怖い。
台所で食器の後片付けや食事の用意を手伝うこともつらい。すぐに背中から腰にかけてだるくなり、食器洗いは3分も立っていられない。これは膝ではなく、坐骨神経痛の後遺症だと思う。
洗濯物を取り込むのは膝の屈伸が伴うので、これも妻にすっかりお任せである。
そして食事から立ち上がるとき、パソコン作業から立ち上がるとき、まだまだ膝に痛みが走る。掃除機をかけるのもまだつらい。体を前後左右にゆすることが出来ないのである。
多分、この一日の一連の動作を他人が見たら、こんなに鈍間になったのか、という感想を持つと思う。
外に出ても、階段では昇り降り、どちらの方向もゆっくりと歩かざるを得ない。後ろから来た若い人に舌打ちされることにはすっかり慣れた。
買い物に行っても高い棚の商品に手が届かなくなった。スーパーの買い物かごが重くなると、左右に体が振れてしまい、人によくぶつかる。
膝の具合はかなりよくなったが、普段の生活のリズムはまだまだ戻らない。動作が痛める前の7割程度でしかない。
私の場合はまだ回復の可能性が高いので、気分的には前向きになれる。梅雨が終わるころまでには元に戻っているはずだという気持ちがある。
しかしもっと歳を重ねて、筋肉の回復も思うようにいかず、回復の見通しもっと先延ばしになると気分は落ち込んで、気持ちが萎えてしまうと思う。
このように一連の動作がゆっくりになると、気分も落ち込み、動作に合わせて体内時計もゆっくりと進むようになっていると思う。体力と動作の機敏さでは、これまでは妻には負けたことは無かったのが、この半年、すっかり妻に労わられるのが当たり前になってしまった。
70歳を超えて、体が思うように動かなくなった時のつらさというのを先取りしたようなこの半年であった。