本日は「はじめに」と第一章「入ってきたもの・出ていったもの」を読了。
「美術のグローバル化の背景にはファインアートの広がりがある。絵画と彫刻を基軸とするファインアートという概念は西欧が生みだしたものだが、明治の日本がその洗礼をまともに受けた‥。西洋発のファインアートは近代を迎えると瞬く間に世界基準になった‥。ファインアートの定義は本書では見るものを威圧する立派な造形についてこの言葉を使う。」(はじめに)
この定義は大胆かつ乱暴にも思えるが、付き合ってみるとなかなか面白い。私の言葉で言えば政治権力と結びついたり、宗教や美術の「権威」の象徴・手だてとして人々を威圧し、ひれ伏させるものとも言い換えてみたい気もする。
「(古墳の内部に描かれた壁画があるが)古墳時代には「絵」や「画」などの漢字も伝来し初めていたが、実はこの二文字には訓読みがない。「絵」の「え」という読みは‥音である。‥訓読みがないということは日本列島の住民が絵画の概念を持っていなかったことを意味するからだ。絵画の概念さえ外から来たことになる。古墳に描いた形象を何と読んでいたのだろうか。」(第1章)
これは私はとても驚いた。慌てて角川書店の漢和中辞典と白川静の字訓で調べた。確かに漢和中辞典では「絵(繪)」には訓読みはなく、音読みとして「カイ、エ(ヱ)」が記されている。字訓でも「ゑ」は呉音としている。「画」についても漢和中辞典は同様。「ゑがく」は漢字の音を利用して作った当時の新しい言葉だったということなのだろうか。それとも「ゑがく」という和語と「絵」とは違う概念なのだろうか。現代の言葉で言えば「サボタージュ」から「サボる」ではなく「さぼる」という具合に、昔からの言葉のように使われているのと同じと言っていいのだろうか。この訓読みではないということ、私の頭の中には無かった。
「(明治期)日本から出ていったものは工芸に類するものが多い。浮世絵も分業による版画なので、‥工芸的な絵画と言ってよい‥。日本は西欧が言うところの応用美術の国であった。」(第1章)
「近年外に出ていったものの代表はマンガやアニメであろう。海外で徐々に人気が高まり、今や日本の現代文化を代表する存在になっている。かつての浮世絵のように日本から売り込んだものではなかったのだが、近年ではクールジャパンの掛け声のもと、政府が輸出を後押しをしようとしている。何もしなくても外にでていくものこそ本物なのだろうが。」(第1章)
最後の一文なかなか辛辣である。