Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「古墳と埴輪」

2024年09月17日 20時27分02秒 | 読書

   

 暑い最中の読書がなかなか進まない。最近よんでいる本とは目先を変えてみた。数年に1冊くらいは考古学関係の本を読んでいる。今回はこの本を選択してみた。

 著者の問題意識は以下に示されているようだ。

日本考古学では、この古墳の文化に一定の一体性と秩序が認められることから、政治的記念物としての古墳の築造上にヤマト王権や地域勢力の動向を重ね合わせることで、古代国家形成過程としての古墳時代の政治社会的研究に力を注いできた。しかし古墳の第一義は墓であり宗教的記念物なのだから、他界観や信仰といった宗教的意味や葬送儀礼での役割、あるいは社会的意味を問わなければ、古墳の本質には迫れない。」(はじめに)

 なお、次の指摘は多分私は初めて知った。
埴輪には、生産用具がないなど、他界での生活に必要なもののすべてが揃っていたわけではない。その点については埴輪と副葬品との比較から考えてみたい。」(第3章「埴輪の意味するもの」、1「埴輪の種類と変遷」)

 上記の指摘について、次のように結論付けている。
副葬品は首長の社会的役割(権益)を象徴する品々、埴輪は主に他界での生活に必要な食器、施設(家、囲など)、家具(蓋、椅子など)である。共通する武器・武具は、棺・槨内のそれは軍事権の象徴であるととに遺体を護る役割を担ったもの、埴輪のそれは首長の住む屋敷や他界ものものを護るためのものだったのであろう。小道具類は棺・槨に副葬品として納め、大道具類は他界に埴輪として備え付けたともいえる。」(第3章、5「埴輪と副葬品」)

 本日は第3章まで読み終えた。


名月と団子

2024年09月17日 19時57分36秒 | 近くの自然



 仲秋の名月の本日、特に花・ススキを活けたりなどをすることは無いのだが、妻が小さな団子を購入してきた。月はきれいに輝いている。満月に団子を食べたのはもう数十年前のことなのではないか。なお、本日は十五夜、満月は明日。秋には程遠い暑苦しい夜である。
 購入してきた団子には餡子は入っていない。実にシンプルな団子である。学生時代、友人と白玉粉を練って食べた記憶がある。どんな成り行きでそんなことをしたか、まったく記憶がない。ひょっとしたら夢だったのかもしれない。記憶違いなのかもしれない。50数年経って曖昧模糊としている。


泡盛をしこたま・・・

2024年09月17日 18時00分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日は代々木公園の野外音楽堂で開催された反原発集会は曇り空で太陽に照らされることもなく、雨も降らず、無事終了。
 その後のデモ行進に参加したのち、銀座線で渋谷駅に戻り、道玄坂にある沖縄料理の店に10人ほどで入り、楽しく時間を過ごした。
 この店、我が退職者会のいつものメンバーはかなり気に入っている。すでに3回目である。あまり普段飲むことのできない泡盛も多数揃えてあり、何杯飲んだか記憶にない。割り勘の値段も予定をオーバーしてそれなりにかかった。
 帰りの東横線内ではすっかり寝込んでしまった。二駅ほど乗り過ごして慌てて自宅の最寄り駅に戻った。

 帰宅したのは21時過ぎ、そのまま簡単にシャワーを浴びて朝まで寝ていた。東横線内で熟睡したにもかかわらず、よく寝た。