Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日より「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)

2024年05月19日 22時02分52秒 | 読書

   

 本日から読み始めた本は「日本の裸体芸術 刺青からヌードへ」(宮下規久朗、ちくま学芸文庫)。
 本日は「序章 ヌード大国・日本を問い直す」と、第1章「ヌードと裸体 二つの異なる美の基準」の第1節「理想美を求める西洋ヌード」までを読み終え、第2節「江戸の淫靡な裸体表現」を少々読み進めた。

幕末に来日した西洋人は一様に、日本人が裸でいることに強い印象を受けた。ある程度文明が進んでいる国であるにもかかわらず、裸族の闊歩する野蛮な国のような風俗に衝撃を受けた。・・・一方イメージの世界では「ヌード」は巷にあふれ、ヌード写真は雑誌や写真集でたやすく見ることが出来る。・・・街角にも雑誌にもフードの彫刻が目に入っても不自然に思わず、・・日本ほどヌード彫刻が屋外に氾濫している国はないといわれている。」(序章)

風俗としての裸を捨て去って、美術やイメージの世界では裸を受け入れてきたのが日本近代の歩みであった。明治以前の日本では、これとはまったく逆の現象が見られたわけである。・・・裸体が美術のテーマになると云うこと自体が、肉体を人格や精神と切り離した物質としてみなす伝統の西洋のみにみられるきわめて特殊な考え方であって、両者が融合した「身」という概念しかなかった日本では、違和感を覚えるべきものである。」(序章)

(日本では)裸体になることへの抵抗が欧米や同じ東アジアの中国に比べて少なかった。高音多湿であるから裸になるという単純なものではないようだ。インドネシアは日本よりよほど暑いが、日本人のような裸体の習慣はないという。朝鮮半島でも、戦前の日本人の裸体や裸足は顰蹙を買ったという。日本における裸体の習俗は気候のせいであるというより、もっと本質的な伝統といってよいものであろう。」(第1章第2節)

 横浜開港の頃の古い写真などを目にすると、多くの男の職人が褌(ふんどし)ひとつで写っている。とくに駕籠を担ぐ人、行商の物売り、大工、飛脚などが目に付く。皆とても日焼けして黒い。女性はそのような恰好はないが、乳飲み子に乳を含ませる図などは目にする。また風呂屋の中は暗いとはいえ混浴であるといわれていた。
 それは昭和の30年代、40年代(1960年代末)まで、多くの温泉地でオープンな混浴が当然であったことは、写真集などでも明らかであった。
 ただし「江戸時代の女性は乳房よりも、足の脛を人にチラ見せことが、セックスアピールであったらしい」と教わったことがある。
 これらがなぜなのか、昔から私なりに疑問に思っていた。この問題意識は私も共有できる。西洋画の裸体表現の根拠と、日本の裸体表現の比較検討という問題設定にも惹かれた。

 



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