Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

立冬・木枯らし一号

2024年11月07日 14時32分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は立冬。富士山の今年の初冠雪、そして東京で木枯らし一号をようやく認定。この認定は地方ごとなので、先日横浜での冷たい北風の日は認定とはならなかった。融通の効かないいかにも明治時代の遺物的な定義が生き残っている。
 室内が20℃を下回ったので、リビングルームではガスファンヒーターを点けた。すぐに温まり、ごく短時間でスイッチはOFFへ。点けたり、消したりと忙しい。

 午前中はそのガスファンヒーターの点検に来てもらった。リビングルームのものは新しいが、パソコンルームの小さなものはかなり年数が経っており、安いものを斡旋してくれるとのことでホースも含めて買い替えることを決断。本体よりもホースのほうが割高である。
 昼間での時間を使い、ボロボロになったスマホケースを新しいものに取り換え。私はリュック、ボウシ、財布、メガネケース、靴、サンダル、杖、バッグ、ベルトなど服以外のものは新しいものに取り替えると自分なりの何らかの工夫を加え、使いやすいものにする。

 スマホケースは蓋が勝手にあかないようにゴム輪を取り付ける釣り糸をほどこし、ズボンのポケットとをつなぐ小さなリングとゴム紐も新たに取り付けた。
 裁縫箱やニッパなどの小道具類を引っ張り出しての工夫というものは楽しいものである。親とは正反対に何事も自分で体を動かし、工夫することの大切さ・楽しさというのは、親元を離れてから身につけた。自らは何事も工夫しようとしてない親は、「この子は不器用だから」と端から私を押さえつけて自らの免罪にしようとしていた。教師にも近所にもそのように口外していた。小さいころから私はとても傷ついていたが、そんなことに気がつく親ではなかった。実に嫌な思い出である。

 昼食後は「田中一村展」の感想に使う画像の整理を始めた。今晩中には成文化したいものである。
 夕刻からは都内に出かけて、友人との忘年会の打合せ。短時間で戻りたい。