午後からの講演会と夕方の打ち合わせ会議は無事終了。講演会の打ち合わせに参加して、それなりに飲んでしまった。気分は遠慮しつつも、手はどうしても酎ハイの入ったジョッキを握ってしまう。意地ぎたない性格が出てしまって、反省。割り勘で楽しく飲めだのが収穫である。
どうも世の中は割り勘で飲んだり、時前の財布で飲むことの方があり得ない人が多いようである。居酒屋でも隣席のサラリーマンが、領収書を求め、「経費で落とす」といっているのに毎回のように出くわす。私にはとても信じられない言葉である。
これが政治家の不正を徹底的に追及できない根拠なのだろうか、といつも思う。
そういえば先日取り上げ田中正造の命日は9月4日、命日だから、ということは特にないが、没後109年であった。
学生時代の1971年に生誕130年、1973年に没後60年ということで書店での特設コーナーなどの催しがあったことを思い出した。映画「襤褸の旗」の制作も没後60年の一環であったのであろう。今頃になって思い出した。
22歳の私からすると、田中正造の死から60年というと、自分が生きてはいなかった時であるから、とても昔のことに思えたはずだ。どんな時代であったか、学校でならった教科書の記述や、本の拾い読み以上の想像が出来なかった。
現在71歳になって60年前というと私は11歳、小学校5年生である。今から60年前は自分が生きていた時代で、しかも周囲や時代を見渡すことが出来るようになった時期であるから、取り巻く時代の雰囲気はわかる。
だが客観的に60年というのはとてつもない昔のことなのだ、とあらためて思った。自分の年齢に驚くばかりである。田中正造は72歳直前で亡くなった。馬には失礼だが、私も馬齢を重ねて71歳を過ぎた。恥ずかしい限りである。