Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「ラウル・デュフィ展」(汐留美術館)

2019年11月19日 21時57分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 午後になって回復、思い切って「パナソニック汐留美術館」まで出かけて「ラウル・デュフィ展 絵画とテキスタイル・デザイン」を見てきた。
 テキスタイルデザインという分野そのものにあまり惹かれることはないが、今回はデュフィの絵画に惹かれて見てきた。

 ラウル・デュフィ(1877-1953)はアンリ・マティスの影響を強く受け、「野獣派」という枠組みで語られるが、私のイメージでは明るい色彩で赤・青・緑・黄といった原色が溢れ、線描と色面の不一致、海と音楽のモチーフといったところ。
 色彩が形から独立し、荒い筆致で塗り残しが無造作に点在し、不思議なリズム感がある。人を描いた作品もあるが、人の存在感や表情を読み取るのはほとんど不可能、というイメージも持っている。
 今回は日本にある絵画作品と『動物詩集またはオルフェウスの行列』などの木版画を中心に見て回った。



 「ニースの窓辺」(1923、島根県立美術館)、「赤いヴァイオリン」(1946、大谷コレクション)、「コンサート」(1948、大谷コレクション)、「黄色いコンソール」(1949、大谷コレクション)など有名な作品が並んでいる。

 美術館のホームページには次のような解説が掲載されている。

1.初期から晩年までのデュフィの優れた絵画作品
 美術学校時代の優品≪グラン・ブルヴァールのカーニヴァル≫から晩年の≪花束≫まで、代表的な作例が16点出品されます。まばゆい海、窓や画中画の効果が印象的な室内、そして≪黄色いコンソール≫をはじめとする一連の音楽をテーマにした絵画など、国内の貴重なコレクションによってデュフィの画業の足跡をお目にかけます。

2.デュフィのテキスタイル・デザイン関連作品と資料が多数出品!
 デュフィがビアンキーニ=フェリエ社のために手がけた布地のデザイン原画や下絵、当時のオリジナルの絹織物、版木や見本帳など116点が並びます。ポール・ポワレの衣装にも使用された生地≪貝殻と海の馬≫や、≪象〔デザイン原画〕≫などの作品にご注目ください。

3.デュフィ・デザインのテキスタイルを使用した衣装作品20点
 ポール・ポワレ原案のドレスをモンジ・ギバンが現代的に解釈して制作した衣装や、クリスチャン・ラクロワやオリヴィエ・ラピドスがデュフィ・デザインの布地を使用して生み出したあでやかなドレス、英国の舞台衣装デザイナー、アンソニー・パウエルによる「マイ・フェア・レディ」の衣装など華麗なドレスが登場します。

 そして私が惹かれた二つのコーナーの解説は以下のように記されていた。

第1章 絵画 生きる喜び
 陽光、海、そして音楽 画業の形成期は印象派やフォーヴィスム、セザンヌの影響を受け、時代の空気に反応した作品を制作しながら、表現の革新を続けたデュフィ。彼は、1920年前後にまばゆい光があふれる南仏のヴァンスに滞在して制作に没頭しました。その過程で光とフォルム、色に開眼し、独自の画風を獲得します。明るい色調とやわらいだ軽快な輪郭線、そして全体が優しく調和する絵画です。光と活気がみなぎる穏やかな海や、リズム感と一体感を感じるコンサートホール、着飾る個性的な人物など、人生の楽しみ、生きる喜びが明朗に歌い上げられています。

第2章 モードとの出会い
  デュフィは1910年に詩人のアポリネールの依頼により、『動物詩集またはオルフェウスの行列』への挿絵を木版画で制作します。そこで見られるドラマチックな明暗表現とモダンで簡潔な構図はたいへん洗練されたものでした。その頃すでに知人であったファッション・デザイナーのポール・ポワレは、デュフィによるこうしたグラフィックの仕事を評価して、自身の店のレターヘッド他を発注するばかりか、テキスタイル制作所を設立し、デュフィと布地の共同開発を始めました。この活動は短期間のものでしたが、テキスタイル・デザインの仕事に関心を高めていたデュフィは、リヨンにあるビアンキーニ=フェリエ社と1912年に契約し、布地の図案を提供することになります。
 本章は、「パート1-『動物詩集またはオルフェウスの行列』と木版画からの展開」と、「パート2-ポール・ポワレ、ビアンキーニ=フェリエとのコラボレーション」の2グループに分けて展示いたします。

 まず、「ニースの窓辺」の実際の画面はチラシや絵葉書、美術書などの画面よりちょっとくすんだ感じがした。劣化なのか、もともとこうだったのかはわからない。意外と厚めに塗っていると感じた。もっとリズミカルに早い筆致で描いたのかと思っていた。
 「黄色いコンソール」「赤いヴァイオリン」と対のような作品だと思っていたが、再作年代が3年も開きがあり、対ではないようだ。しかしヴァイオリンの向こうに立てかけてある楽譜はともに16分音符であり、こだわりが伝わってくる。聞こえてくる音楽はリズミカルなパッセージである。モーツアルトなどを好んだようなので、その一節かもしれない。デュフィの頭の中ではこのような音楽がいつも流れていたのであろうか。静かでゆったりとした音楽ではなかったと思われる。
 そうであれば「コンサート」についても同様の音楽が鳴り、早いテンポで迎えたクライマックスの緊張感が画面を支配しているのであろう。静かなゆったりとした旋律によってもたらされる緊張感とは違う緊張感と理解した方が良いのだろう。

 このようなリズム感が『動物詩集またはオルフェウスの行列』などの木版画に繋がる繰り返しのパターンに表れるものなのであろうか。繰り返しのパターンはひょっとしたら、私の見ているテンポより速い目で追って行かなくてはいけないのかと思った。じっくりと見ることよりも瞬間のイメージが早く展開する効果を狙っていると思えた。私には早すぎるようだ。

 この速さが「生きる喜びに満ちた作品」と評される所以なのかもしれない。

      



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