「ヨーロッパ人の思い描くユートピアはだいたいどれも、信じられないくらい似通っています。ユートピアは歴史を否定してしまうらしい。歴史のない空間をつくってしまうために時代を超えて同じ構想がうまれるのか、ヨーロッパ人とは深層意識のなかでいつも固定された理想都市を思い描きつづけた人々ではないのか、‥。」
「ヨーロッパでは古代以来、幾何学的な線を主体とした新都市が多い。自然の曲線にみちみちた桃源郷なんかとは違ってユートピアは常に直交線や円のような図形でなりたっている幾何学構造をもった都市です。‥別の空間的構造として自然を矯正する。理想都市では川はまっすぐでないといけない。」
「他方、時間のほうはひとことていえば時間がないんです。少なくとも歴史がない。理想の社会ができあがってしまえば、そのなかでは葛藤は起こらないと考えられている。」
「もうひとつは明るいということ。‥人間には闇が必要なんでしょうけれども、ユートピア人は闇がきらい。生活に闇の部分がなく、隅々まで監視が行きとどいているという意味では明るいし、古今のユートピアはどれも基本的に明るい社会なんです。」
「ユートピアは、画一的、衛生的、きれい、明るい。もう一つの特徴はにおいがないこと。さらに別の特徴は質素だということ。」
「プラトンには守るべきものがあった。ギリシアが既に高度に推しすすめていた理性というものです。知的生命体のあかし、それを象徴する幾何学的に構成された年。城壁外からの攻撃に備える堅固な空間。これは何をおそれていたのか、というと、アジアが侵入してくるのが怖かったんですね。広い意味でアジア的なものです。それは不定形であり、自然に近く、無限にそして旺盛に増殖し繁茂するものです。規則性、反復性がない。血みどろであり、豪奢でありエグゾティックであり、金銀財宝に飾られている。それによって最終的には侵されてゆく運命にあったにせよ、そういうものからいつまでも身を守るための防御壁としてつくられたのが、ユートピアという思想であったのではないか。」
ここでアジア的というのは、エネルギッシュでたくましい生活者の築く混とんとした生活圏、活動圏としての都市である。市場であり居住空間であり、「理性」などとは無縁なところで繰り広げられる社会そのものの混とんとした「秩序」であろう。その内なる「反ユートピア的」な衝動を、現実に押し寄せてくる東方からの「文化」としてギリシアのひとびとは外在化したのではないだろうか。
「アジア的・自然的なものが東のほうから侵入してきて、ギリシアに生まれたアッチカ的・理性的な規範と対立しつつ入りまじっていたのがエーゲ海の文化です。」
初めて巖谷國士の書物を読み終えた。なかなか大胆であるが、納得してしまう記述である。また機会があれば是非読んでみたい。シュルレアリスムというものの理解が深まったともいえないのが悲しいが、それでも身近に感じたことは確かである。ブルトンの「シュルレアリスム宣言」にもう一度挑戦したいとも思った。