ようやく夜になって「藤原定家『明月記』の世界」を読む時間を取ることができた。第4章まで読了。
ところどころ堀田善衛の叙述を思い出しながら読み進めている。本当は読む順番が逆だったかもしれない。
歴史家の叙述であるから、堀田善衛の「定家明月記私抄」とは違う。アプローチの仕方も、読み込むにあたっての観点も、時代に対する把握も違う。そして定家という人物に対する評価も、後鳥羽上皇という稀有の存在である支配者に対する評価も違う。
堀田善衛はやはり文学者として定家という人物を描こうとしている。否、定家という人物の心の奥底を描いているように見えるが、実際は堀田善衛自身を語っている箇所がいくつもある。堀田善衛の政治経験や自分の生きた時代への批判を、定家をとおして語っている。堀田善衛という自分を語っているのである。文学的なアプローチとしては、かなり大胆であっても、堀田善衛自身にひきつけすぎる解釈もまたある意味では心地よいところがある。
この本のように、歴史家の描く定家像や、平安時代という時代把握も違う。堀田善衛がくぐり抜けてきた時代から見ると平安時代そのものの歴史的把握は、現代の平安時代把握とも違ってきている。
私はその堀田善衛の試み、叙述に惹かれている。ただしやはり最低限の歴史的背景や、客観的な読みは前提として知っておかなければ、いけないと思い、この本に飛びついた。