Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

円山応挙「雪松図屏風」

2020年11月07日 18時51分03秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 円山応挙の作品に「雪松図屏風」があり、ここに掲げたのは左双である。以前にこの作品について感想を記載したことがある。
 日本の松の幹の株は左から風が松に向って吹いて、雪が左側についている。しかし松の先端に行くほど雪は左から正面にずれていく。左の松では実際に近い。右の松では右に分かれた枝には右側に雪が着いている。そのことが今も気になっている。
 午前中に狩野探幽の「雪中梅竹遊禽図襖」をはじめて見た。ここに掲載したいが、いい画像がないので断念した。この探幽の作品では雪を被った松が幹と枝を右から左に大きく張り出している。雪は下部の幹には正面に張着いている。しかし左に張り出した枝には上部に雪が積もっている。この作品では、わたしは空間が大きく上部になるほど空間が見る者から遠ざかるように、画面の奥の方に曲げられているのではないか、と感じた。そうすることで画面に奥行きが生じる。その変わり枝の手前に着いた雪は上部に積もったように見えることになる。探幽はこの奥行感、ある意味では遠近感を強調したかったのではなかろうか。
 この仮説の上に立って円山応挙の作品を見ると、どのように見えるだろうか。左の松は下から見上げるような極端なワイド画面に見えるが、やはり上部が奥の方に極端に曲げられていると思える。空間を歪めることで奥行き感を出している。
 それに比べて低い右側の松は、雪の重みに撓っているようにも見えるが、右側と向こう側に画面がゆがめられているとも思える。こうして右側に奥行き感が出ているのではないか。
  右側の松の右に張り出した枝は雪の重みだけで枝が歪み、雪の着いた向きがずれたように見える。同じ松の先端は左側に雪が着いている。これは歪んではいない。

 視点をずらしたり、それによって空間を大きく歪めることで、奥行感・遠近感を出すという仮説に、私は今のところ充分に納得している。風景については、実景の写生という概念はなかったと思うので、空間をゆがめたり、視点を自由に変えるということは特にこだわりというものはなかった時代である。意識的にこのような構図を追求したのではないとも思う。

 以上は、あくまでも素人の思い着きである。どなたか教えてほしい。

 



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