本日は完全休養日。 本日までが二十四節気の処暑、明日からは白露ということになっている。節気の定義によれば、
・処暑は「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也(暦便覧)」で、「処暑は暑さが止むと言う意味。萩の花が咲き、朝夕は心地よい涼風が吹く頃だが、台風のシーズンでもある。」
・白露は「陰気ようやく重なりて露こごりて白色となれば也(暦便覧)」で、「野には薄の穂が顔を出し、秋の趣がひとしお感じられる頃。朝夕の心地よい涼風に、幾分の肌寒さを感じさせる冷風が混じり始める。」
ということなのだそうだ。
しかし、本日までの「処暑」では、夏の陽気は退く気配は見せていない。台風シーズンであることと、萩の花が咲き始めていることはあたっているが、暑さの止む気配も、朝夕の心地よい涼風もない。
明日からの「白露」でも、露も結ばず、涼風も肌寒さも期待は薄い。虫の声、薄の穂は確かに見ることはできる。
萩の花や薄の穂は確かに見かけるが、この暑さではそれらを眺める気持ちにもならない。虫の声、ツクツクホウシの声は聞こえてくるので、季節は秋だとは思うが、体は飽きであるとは納得していない。シオカラトンボも見かけるけれども、それを眼で追う気力も湧かない。
いやはや、今年の夏は、否今年の夏もだいぶ暦とずれてしまった感じである。
★水平に流れて海へ処暑の雲 柿沼 茂
★姿見に一樹映りて白露かな 古賀まり子
★糸尻の掌になじみたる白露の日 斉藤史子
第1句、この雲は秋の雲であろうが、何という雲か、悩んでいた。秋らしい高い雲ならば「流れる」という表現がぴったりとはおさまらない。高度が2000mくらいの綿雲=積雲ならば秋のものは夏と違って平べったい。これならば8月末によく見かける。夏のような雲でもあるが、停滞しないで流れていく様子は秋の気配が濃厚である。
第2句、夏でも冬でも一年中姿見に庭の樹は映る。しかし多分しっかりと着付けが決まるのは、白露の季節なのである。
第3句、糸尻は茶碗の底の突き出た部分。ざらざらとしている。秋の涼やかな気配の中、暖かい茶が美味しく感じられる季節である。冷たい飲み物ばかりを喫していた夏からの季節の移りである。抹茶茶碗よりも煎茶茶碗で喫したお茶の方が私はこの句にぴったりだと思う。