Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書12月号」その3

2021年12月07日 09時00分00秒 | 読書

 昨晩図書12月号で目を通したのは最後の残りの6編のうち、2編。今月号はこれにて終了。

・日本らしさ      畑中章宏
「歴史学でも民俗学でも「日本」という地域を一様なものとして論じることはできない、と繰り返し述べられてきた。‥(歴史学者の網野善彦、民俗学者の坪井洋文のような)一元化に抗するふたりのような言い方は人気が薄くなったような気がするが、日本がひとつではないことは、繰り返し述べるべきだし、いまもまた強調すべきではないかと思う。」
「ドイツの建築家ブルーノ・タウトが日本美として発見し、賞賛した「日本美」は建築史や美術史のうえでは評価できても、普通の人々の日常生活からかけ離れたものだった。日本や日本人、あるいは日本文化のある部分をほかの国の人から褒められて、手放しに喜ぶ無邪気さはいつの時代にも繰り返される。しかし、外国人が発見した日本は、この列島で生きている私たちとは隔絶した幻想にすぎない。」
「日本らしさ」や「日本人らしさ」という言葉が何を表していいように、巷間でよく口にされると都道府県ごとの個性や、そこに住む人の「県民性」もほとんど意味をなさない。‥都道府県に至ってはさまざまな塩飽や事情から現在のような形になって、150年に過ぎない。この間に県民性のようなものが本当に醸成されるものなのか。制度の古さ自体大きな意味はないにしても、律令制による「国」のほうが、現在でも土地柄を示す記号になっているし、都道府県では語りえない風土的な陰影を籠めて語られる。」
「「らしさ」のなかでもとくに実態が薄く、使い勝手が悪い「日本らしさ」や「日本人らしさ」に呪縛されるのは、きわめて今日的な現象であり、現代を象徴する危機だと私は思うのだ。」
「何かしらの通念に依拠する「らしさ」群は、曖昧な観念に基づく規範的な力が不安を助長する代物だが、まさに「確かさ」にめぐって生起し、変容していくものかもしれない。‥」

・十二月、寒さの中の羽ばたき     円満字二郎

 「編集後記」ともいうべき「こぼればなし」によると司修氏の表紙絵画シリーズ「夢の絵」は今号で最終回とのことである。丸5年間の連載だったとのこと。ずっと続くと思っていた。表紙の作品とともに表紙裏の作者の言葉がイメージを膨らませてくれて、愛読していた。夢を見ないというか、朝、目覚めとともに見ていたと思われる夢のことがまったく記憶に残ることのない私に、強い引力を及ぼしてくれた作品とそれに付随する表裏一体の「詩」のような言葉であった。
 とくにこの一年は作品の色彩が鮮やかになり、それとともに言葉もまた奥行きというか、言葉のイメージが膨らんでいるように思えた。楽しませてもらった作者に感謝である。
 これが5年分ということは60回分の絵画と文章の作品集としてまとまったならば、是非手に入れて折に触れて目にしたいものだと思う。誰でもが手にできるようにそれなりに手ごろな価格と体裁にしてもらいたいものである。
 来月からは杉本博司氏の写真シリーズということだが、皆目見当もつかない。



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