Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

日本大震災から10年 二

2021年03月11日 20時48分41秒 | 天気と自然災害

 私は横浜市の南のはずれの区の出先職場に籍を置いていた。震度5強か6弱だったと思う。
 これまで記載してきた10年前のことは、14時半過ぎに現場調査のために一人で職場を出て15分ほど歩いたときに地震に遭遇した時の体験である。

 ちょうど小学校が終業式の後の下校途中であったらしい。コンビニの大きな看板が付いている支柱や、トランスのある電柱に子どもたちがしがみついていた。看板やトランスが落ちたら危険だから離れるように手を取ったが、しがみついて離れなかった。
 やむなく看板が落ちるようだったら強引にでも引き離さなくてはいけないので、私も大きく揺れる看板の支柱のそばで上を見上げながら、しゃがんでいた。トランスの乗った電柱には母親と女の子がしがみついていたので、大声で上から落ちてくる可能性があるから離れろ、と叫んだものの、しがみついた親子は離れなかった。
 コンビニの駐車場の車が跳ねるように動いていて、車のそばというのが危険なことを認識した。
 地震が収まってから、支柱と電柱にしがみついていた子どもと母親に、頭上からの落下物のことも考慮するように伝えてから現地離れ、急いで職場に戻った。途中、信号が消え、近くの商店の人が交通整理を自主的に始めたことなどを記載した。
 職場では全員で分担して区内のパトロールに出た。私は徹夜に備えて、炊事の手配等を職場で開始した。19時過ぎに区内の道路の損壊やがけ崩れ等がないこと、工事現場での事故が起きていないこと、などを確認し、待機態勢を縮小し、私は「定年間近」を理由に温情で帰宅を命じられたことなども記載した。翌年の3月末に定年を迎えることになっていた。

 JRも止まり、不定期のバスだけが交通手段となったが、私はまずは隣の区まで歩いた。街路灯もなく、歩車道の区別のない真っ暗の道を歩くのは危険であった。私の働いていた区では街路灯・信号・一般家庭の電気はすべて停電になった。しかし隣の区は電気が通じていた。
 街路灯や防犯灯・家々の灯りの重要さをあらためて認識した。途中からぎゅうぎゅうのバスに乗車したが、渋滞で動かないのですぐに下車し、結局10数キロを歩いて帰宅した。
 途中のコンビニもスーパーでは、飲料水も食料もなくなっていた。桜木町駅そばのある町内会では町内会館を開放し、便所やお茶を出してくれ、ベンチで休養もさせてくれた。これはありがたかった。当時の町内会の役員には頭が下がる思いであった。
 横浜駅を通過すると大勢の人が駅構内にたむろしていた。そこを通り抜けたが、通りがかりの人の会話などを聴くと、みなとみらい地区に避難所があるというのでそちらに向かったが津波が来るかもしれないというので戻ってきたこと、戸塚に行きたいが歩いていけない、などの声が聞こえた。そごうや高島屋・駅ビルなどの高いビルは入り口が締められ津波が来ても入れないという声も聞こえた。
 横浜駅構内は海抜数メートルできわめて危険である。しかし西口から西に10分も歩けば高島台という高台がある。だれもそのようなことを教える人がいない、ということに愕然とした。また横浜からわずか10キロ離れた戸塚まで歩けないという若い30代未満の人の声に驚きもした。
 商業ビルも高層マンションも、オフィスビルも街にあふれている人々を津波の避難場所に提供しようとしないことにも驚いた。
 帰宅してから親に聞くと、高島屋からは外に出ろと追い出されたとのことであった。80歳過ぎの高齢者を店の外に追い出す仕打ちに私は憤ったが、怒りをぶつける先はなかった。

 妻は六本木から5時間以上かけて家まで歩いて帰ってきた。20キロ近くを、歩く人で混雑する幹線道路を頑張って歩いてきた。さすがにくたびれたようで、不安な夜だったが浴槽のぬるま湯でシャワーを浴びてから熟睡していた。私もほぼ同じころ21時過ぎに帰宅した。
 仙台の友人に電話をしようとしたが、電話は通じずに断念。一晩中テレビを見ていた。

 概略ここまではこれまでも幾度か記載した。

 記載していなかったことは、信号が点滅しなくなったときの恐怖である。
 地震発生直後の明るいうちに猛スビードで通り過ぎる乗用車を何十台も見かけた。点滅していない信号のある交差点をブレーキもかけずに駆け抜けていく車は恐怖である。怖くて道路の横断ができなかった。特に夜、街路灯もつかなくなっている幹線道路では、歩道を歩いていても恐怖を感じた。
 どのような心境であの運転をしているのか今も理解に苦しむ。人は恐怖を感じると、それから逃れるように、前後の見境が無くなるのであろうか。それにしても自分を危険にさらす行為というのが、私には今も理解できないでいる。



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