午前中は「菊帝悲歌 小説後鳥羽院」(塚本邦雄)の最後の第6章「なみだとふらむ 嘉禄元年1225」を少々。
昼食後に横浜駅まで出かけたが、いつもとはかなり離れた喫茶店まで足を伸ばした。塾がいくつか並ぶ一角、親と一緒の小学生がテキストと格闘していた。座れないほどの混雑ではなかったし、静かであったのが良かった。
ここで午前中の読書の続きを少々。じっくり読んできたが、残り10頁ほどになってしまった。
夕食は妻と外食に切り替えた。横浜駅東口にある改装なったルミネのレストラン街へ何年かぶりの足を踏み入れた。
すっかり様変わりして、有隣堂は地下2階に押し込められたように少し狭くなっていた。6階のレストラン街はまだ私どものような年寄りも入れるような店が並んでいたが、7階は若い女性が喜びそうなレストランばかり。6階の洋食の店に入ったものの、年寄りの二人連れは我々だけ。
エスカレーターで各階を覗きながら降りて来たものの、妻は「もう来ることもないかもしれないね」とひとこと。若い女性たちに圧倒されて、我々の居場所ではないことを確認してから帰宅。
年寄りはだんだんと横浜駅界隈から締め出される運命なのであろう。わずかに西口のスーパーなどの食料品売り場、地下街の周辺と、北口や相鉄口の地上の飲み屋街あたりだけが、年寄りが足を向けられる場所になってしまった感じがする。ことに東口はますます縁遠くなった。
もう70歳を超えた私たちは河原や公園の片隅で静かにワンカップを傾けるしかないのかもしれません。
横浜駅周辺の地理に詳しく、日常的に出入りしている氏でさえもこれだからなぁ…突っ込んで行っても自滅だわ。
ほんと、どこへ行っても、押され押されて、追い込まれるのだ。われらも若い頃は、高齢者をこんな風に追い込んできたのかな?やはりどこかで、侮っていたのかな? あまり人のいない河原を歩くしかない。🍙をコンビニで買って…日当たりにいい日に。