Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「六月の荒筵」 追記

2020年06月04日 10時42分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日の午前中に、次の句の私なりの読みをアップしてみた。

★六月の女すわれる荒筵    石田波郷

 その後ネットで検索してみたところ、次のような解説を見つけた。

「作者が実際に見た光景は、次のようだった。「焼け跡情景。一戸を構えた人の屋内である。壁も天井もない。片隅に、空缶に活けた沢瀉(おもだか)がわずかに女を飾っていた」(波郷百句)。「壁も天井もない」とは、ちゃんとしたそれらがないということで、四囲も天井もそれこそ荒筵で覆っただけの掘っ立て小屋だろう。焼け跡には、こうした「住居」が点在していた。女が「六月」の蒸し暑さに堪えかねたのか、壁代わりの筵が一枚めくり上げられていて、室内が見えた。もはや欲も得もなく、疲労困ぱいした若い女が呆然とへたり込んでいる。句の手柄は、あえて空缶の沢瀉を排して、抒情性とはすっぱり手を切ったところにある。句に抒情を持ち込めば哀れの感は色濃くにじむのだろうが、それでは他人事に堕してしまう。この情景は、詠まれた一人の女のものではなく、作者を含めて焼け跡にあるすべての人間のものなのだ。哀れなどの情感をはるかに通り越したすさまじい絶望感飢餓感を、荒筵にぺたんと座り込んだ女に託して詠みきっている。焼け跡でではなかったけれど、戦後の我が家は畳が買えず、床に荒筵を敷いて暮らしていた。あの筵の触感を知っている読者ならば、いまでも胸が疼くだろう。『雨覆』(1948)所収。(清水哲男)」【増殖する俳句歳時記】

 私の句に対するイメージ、まったく外れているということは無かったと思いホッとすると同時に「抒情性とはすっぱり手を切っ」て敗戦直後の絶望感・飢餓感・焼け跡を普遍的に表現したこと、という指摘が私にはうまくできなかった。もう一歩踏み込む能力がなかったということだと思える。

 しかし記事をアップする前にもう少し調べる必要があったと、反省している。作者である石田波郷自身の文章があったとは迂闊であった。それにしても石田波郷の句は難しい。

 



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