Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「日本美術の核心」

2022年06月04日 23時33分18秒 | 読書

   

 「日本美術の核心 周辺文化が生んだオリジナリティ」(矢島新、ちくま新書)を読み終えた。

「ルネサンス、バロック、ロココと推移した西洋絵画の発展は自律的なものであったが、その分多様性にかけるところがあったようにも思われる。一方日本絵画は常に外から刺激をうけることで新しいスタイルを生みだしてきた。(日本絵画の)18世紀の多様性は、庶民化の進行と中国や西欧からの新たな刺激が生みだしたのである。」(第9章「多様なスタイルの競演」)

「大文明から流れ込んでくるファインアートをはみ出す部分に焦点を当ててきたわけだが、大文明から流れ込んでくるファインアートを懸命に学び、消化してきた周辺諸国では、日本と同様にファインアートをはみ出す字名が多かったと考えられる。日本のオリジナルと思われたものが、周辺では一般的ある可能性を考慮しないわけにはいかない。日本は特別だと言い立てるだけでは、浅薄なナショナリズムに陥る危険もある。文明の周辺に位置していた地域としては、ロシア、イギリス、朝鮮(韓国)が思い浮かぶ。‥」(第10章「周辺のオリジナリティ」)

「ロシアは狭くはビザンツ文明の、広くはヨーロッパ文明の周辺に位置していた。日本と立場が異なるように見えるノシ、ロシア自身が中央アジアなどに周辺地域を抱えており、そうした周辺に暮らす民族に対して中央文明として振舞ったことだろう。‥ギリシャ正教会で重視されたイコンの伝統を守ったことは、日本と同じく文化の保存庫の役割を(ロシアが)守ったことを意味している。宮下規久朗は「聖母の美術全史」(ちくま新書)の中で「19世紀にはヨーロッパとは一線を画した力強い写実主義を、20世紀には世界で初めて抽象絵画を生みだした原動力となっているのは、イコンの伝統であった」と述べている。‥ロシアの場合は西洋文明の一員として振る舞い続けており、その枠を抜け出ていないように見える。‥ルボークという民画は17世紀半ばのロシアに誕生した民衆向けの素朴な木版画である。‥絵が素朴であることはもちろん、成立の近さ、民衆向けであること、初期には宗教的な主題が多かったことなど、日本の丹緑本や大津絵との共通点が多い、18世紀前半に量的なピークを迎え、18世紀後半にエッチング、19世紀に入ったころにリトグラフが導入されるなど、徐々に技術が向上した軌跡は浮世絵版画にも誓い。ルボークが日本の素朴絵と異なるのは、知識人層が価値を認めず、あくまで庶民のための安価な絵であり続けたことだ。」(第10章「周辺のオリジナリティ」の「ロシアの場合」)

「アートの分野では島国イギリスが大陸に対していささかのコンプレックスを抱いていたのは間違いないだろう。イギリス式と言われる自然風景庭園は、‥18世紀始めころにフランス庭園からの脱却を目指して始まった‥。19世紀後半に起こったアーツ&クラフツ運動である。ウィリアム・モリスが始めたこの運動は、中世の素朴な手仕事を改めて評価したことに始まる。‥大量生産品への反動というフレーズは柳宗悦の民藝運動について記したところとよく似ている。‥アーツ&クラフツ運動と民藝はともに工芸の分野において素朴に立ち返ろうとした運動であり、共通するところが多い。」(第10章「周辺のオリジナリティ」の「イギリスの場合」)

「筆者は美術の価値を測る絶対の基準など存在しないと考える。西欧の15世紀から19世紀半ばまでのリアリズムを基調とする絵画も人類が生みだした数あるスタイルの一つであり、リアリズムにこだわった西洋絵画が普遍的なのではなく、むしろ特殊な存在であるように思われる。19世紀後半のフランスの絵描きは日本絵画との邂逅を通じて、絵画は本来自由であり、多くの可能性があることに気付いたのでは無かったろうか。」(第10章「周辺のオリジナリティ」)

 この書物、頷けるものやなるほどという箇所も多くあり、刺激を受けた。特に第10章で「大文明」の「周辺「「の特徴を示唆的・ポイント的に指摘している点は斬新に思われた。また日本の「周辺」として関東・北東北・蝦夷地・琉球を考察の対象にしようとしたことも頷ける。しかしいづれもが未だ提起で終わっている点で、この10章の続き、展開を期待したいものである。
 同時に展開不足を感じるところ、構成の再検討、文言のもどかしさを感じるところも多々あった。今一つ筆者の本意がよくわからないと感じた。

 第9章で筆者は次のようにも指摘している。
 「美術における多様性がピークを迎えようとしていた江戸時代中期、日本の伝統を突き詰めようとする国学が登場する。国学者の主張は、長い年月の中国文化の影響を取り除けば、日本固有の何かが現れるというものであった。(しかし)文明の周辺に位置した日本文化の本質は、外から刺激を消化して、自家薬籠中の物にしていくプロセスにこしあるの手は内科。外からの自然なくして今の日本の文化はない」
 この指摘は当然のことであるが、私はこれは日本の文化に限ることではないと思っている。「日本」にこだわるあまり、ここの点の普遍化に言及がないことに不満を感じた。
 どんな地域であれ、周辺であれ、「大文明」の中心であれ、外からの刺激を受容出来なくなり、「純粋な我が伝統」にこだわり、他者に対して排他的になり、他者や他の文化からの刺激を排除したり、応用力が無くなった時が、その文化・文明の終焉を意味すると断言していいのではないか、と考える。

 今の日本、この観点からするときわめて崖っぷち、繁栄の終点、衰退への最後の地点に立ち尽くしているように思える。ひとつの時代の終焉は、このような状況を呈するのであろうか。

 なお、参考図書として挙げてある「聖母の美術全史」(宮下規久朗、ちくま新書)は私も読みたいと思っていた本である。近いうちに手に取りたい。



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