Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

冬の空

2021年01月29日 13時20分11秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 午前中の作業は終了。天気も回復したので、これより外出。散歩のようなウォーキングに出かける。コースはいつものように未定、途中でコーヒー&読書タイムとなるとうれしい。
  妻も所用があり、出かけるとのこと。夫婦別々の目的とコースと時間で外出。

★蓋のない冬空底のないバケツ      渡辺白泉
★天ぷらの海老の尾赤き冬の空      波多野爽波

 第1句、「蓋のない空」とは抜けるような透明の空を形容するのによく使われる。秋でも冬でも使われるがここでは冬と限定している。「底のないバケツ」は古くて用をなさないもののたとえにも使われる。遠景と近景の対比という解釈が普通だが、私は「蓋のない冬空」をじっと眺めていると、ふと底のないバケツをとおして冬空を眺めているような錯覚に陥った心境を詠んだのかもしれないと感じた。
 細い筒をとおして遠くのものを見ると鮮明に見えることがある。古いバケツの底を上にかざして空を見上げても、何もなくただ青く、無限に遠くまで空虚が続く。「空」も「底の抜けたバケツ」も人の役には立たないし、普段は意識の外にある。が、厳として存在している。そんな存在に気が付いた句と解釈しても悪くはないと思う。

 第2句、この句も室内の食卓に載ったてんぷらの海老の赤い尻尾と、室外の冬の空の対比と解釈するのが一般出来だろう。だが、冬の温かい日に外でお弁当を食べていても悪くない。容器からはみ出した海老の赤い尻尾と、青い冬の空の対比、さらに無用として食べかすとして容器ごと捨てられる海老の尻尾と、陽射しをもたらしてくれる太陽ばかりに気を取られて存在を忘れがちな青い空。人の意識の外、「無用」のものの対比である。
 ちなみに私は火を通した海老の尻尾は必ず食べる。好物である。バリバリと噛みしめると海老の味がほのかに残っている。そして冬の青い抜けるような空も好きである。こずえの細い枝越しに見ると若い芽が映えて、春を想像できる。



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