
酒井抱一は、尾形光琳を強く意識しており、というよりは尊敬の念がはなはだ強かったといわれる。尾形光琳の風神雷神図屏風の裏に「夏秋草図屏風」を描いた。風神の絵の裏に風になびく秋草、雷神図の裏にうなだれる秋草と紅白梅図を連想するような川をそれぞれ描いた。私はこの対比がとても気に入っている。抱一という画家光琳を尊敬するだけでなく、かなり大胆に光琳を越えた表現を模索していたように思う。
先日「俵屋宗達」(古田亮、平凡社新書)を読んだとき、次のような表現があった。
「抱一の自己表現は実に用意周到である。表の金地に対して裏の銀地。‥。風神の裏には野分にゆれる芒、蔦紅葉、葛といった秋草。もちろん、風神の風袋から噴出する強烈な暴風に耐えられる姿である。一方雷神の裏には雨に打たれた若い芒、その陰に百合、まっすぐに伸びる女郎花など夏の草花が描かれている。風神雷神に天候や季節感を見る抱一の感性と想像力は、光琳が大成した装飾美に対して自然感情を吹き込まずにはいられなかったのである。」
「抱一の「風神雷神図屏風」は、抱一の芸術との接点が希薄な作品であるがために、かえって抱一の評価を下げてしまいかねない危うさを含んでいる。」
前段は私が抱いた感想とほぼ同じなので、同じように感じているプロがいるというのは素人の私にはとても嬉しい。私の言葉を添えるならば、天上の神の領域、天上の不可思議な自然現象に対して、抱一はそれらの影響を受ける地上の現象に眼を凝らしたのであろう。天界のことよりも地上の現象にこそ美の視点を持って行きたいという強い意志も感じられる。様式美・装飾美・目に見えない畏怖の世界の先に、自然の写生の美を対置したのかもしれない。同時に雷と風=野分というわずかな季節感の違い着目して、晩夏から初秋という時間差、季節の差を描こうとしたように思う。美の世界が、具体的な生活者の視点に降り立ったような感じがする。それが多分、光琳という江戸時代前期から、抱一が生きた江戸後期という時代の社会の変化が反映しているのかもしれない。

ただ、引用した後段にはちょっと違う感想を持った。宗達・光琳・抱一の三つの風神雷神図屏風を上から順番に並べてみた。私なりに感じたのは、まず第一に宗達に比べて光琳の絵では雲があまりに濃い。濃すぎるのである。黒が強いことで宗達の絵よりもおどろおどろしさを強調しているようではあるが、風神も雷神も目立たなくなってしまっている。それゆえに動きが伝わってこない。二番目には宗達の雷神に比べて光琳の雷神は下に少し降りてきたので風神と雷神が同一の高さになってしまった。このために雷神の下に降りていこうとする動きと、風神の左に横切ろうとする動きが、屏風の真ん中で交差する緊張感が希薄になってしまった。宗達の絵に比べて光琳の絵は、雷神・風神がそれぞれ今いる場所で地団駄を踏んでいるようにすら見えることがある。それは雷神の眼が下方を見ていないで風神を見ているから余計そのように見える。
抱一はこのふたつのマイナスを復元しようとしたのではないだろうか。まず雲がうすくなり宗達のように軽やかな画面に戻った。雷神・風神とも画面の前面に出てきた。また雷神を少しだけ上にあげた。宗達のように太鼓は画面からはみ出るほどではないが、太鼓が上辺ぎりぎりに戻った。風神の右足は光琳では指が上を向いて足を上げる動作だが、抱一では甲が着地の形になり、前方へのベクトルがより強調されている。ただし雷神の眼は光琳と同じく風神を見つめたままである。だから雷神の下方への動きはそれほど復元はしていない。とはいっても宗達の絵のように雷神が風神を無視するように下を向いているのもおかしいものがある。
このように見ると抱一は、光琳が宗達の絵を装飾的に変えたものを、躍動感を戻そうとしたように見える。
抱一は光琳を尊敬していたが、江戸時代後期という時代の精神の中で光琳を越えようとしてもがいていたと私は感じている。光琳を尊敬しあこがれていただけの模写ではなかったと思える。私はそのもがいた形跡が好きである。一見静かな眼を思わせるがその実、夏秋草図からは激しいエネルギーを感ずることがある。それは光琳の風神雷神図屏風の裏に描いたという行為からうかがえるのではないか。
そこで、抱一の描いた《夏秋草屏風》の折り方は山折り、谷折りどちらで見られることを想定しているのか、ずっと疑問でした。琳派400年を記念して、両面に描かれたコロタイプの屏風が作成されたそうです。http://benrido.wixsite.com/rimpa-collotype/single-post/2015/07/30/%E8%A3%8F%E9%9D%A2%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%A4%8F%E7%A7%8B%E8%8D%89%E5%9B%B3%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E3%81%BF%E3%81%88%E3%82%8B%EF%BC%9F
山折りの《夏秋草図屏風》を見ると、こちらの方が、構図的にまとまっているのかなと思われたのですが、いかが思われますか? となると、飾る時は、どいう状況が考えられるのかが謎。わざわざ山折りにして飾っていたのか・・・裏に回って見ていたのか。お疲れがとれましたら御覧になってみて下さい。
本日は目の疲れのため、日曜日にかけてみさせていただきます。
遅くなって申し訳ございません。
あれは谷折りだったか、山折りだったか、覚えていません。
ご指摘のあるまで、そのようなことを気にしていませんでした。
これは面白い。流水については、私はそれほど構図上煩わしくは思えません。確かに裏に回って見るのが自然のような気もするし、何とも今のところ判断保留かな。今度東博のショップでミニチュア版の屏風を見ながらいろいろ想定してみたいと思います。
ご指摘、ありがとうございます。これもまた楽しい勉強になります。
新たに、トーハクで、2006年に山折りで展示されていたことを発見。http://bluediary2.jugem.jp/?eid=743 若冲人気にこの展示は、あまり話題にならなかったようです。コロタイプよりも、屏風を広げる角度が広がってますね。コロタイプは、触ってもいいそうなので、広げる角度を変えてもらってどう変化するかを、確認するのもおもしろそう。水流をどう見るかも、新たな視点で見逃していました。私もそんなに気になりません。
自分で自由に折りを変えることができるので、どう変化するのか見てきました。そこで気づいたのですが、《夏秋草図屏風》落款の位置からすると、いつも見ている展示の方法は、左右逆に置かれることになるのです。
ここに掲載されている屏風の写真を拡大すると、落款が中央に集まってしまっています。屏風の飾り方の基本に、http://d.hatena.ne.jp/shiga-kinbi/20110304/1299196884 右に飾る屏風は右に落款を・・・という決まりが書かれています。ということは、本来は左右逆に置かねばならないのでは?と・・・
ショップで左右逆に置いてみたのですが、構図としては、どうなのかなぁ・・・という感じでした。でも折を変えても、左右を入れ替えても、それなりに見えるように描いたというところが、抱一のすごさなのかなと。行かれましたら合わせて、ご確認下さい。
わたしも迂闊でした。光琳画の裏に描いたとして、左の雷神の裏に夏草と水流だとすると裏から見ると夏草は右隻、右の風神の裏が秋草ですから、裏から見ると秋草が左隻ですね。
落款の位置と水流の下流の方向からすると、それで問題はなさそうですが、草の盛り上がりはともに外に向かってしまいますね。
中心部に題材の頂点があって左右に流れていく構図が自然だとすると、構図上は違和感があります。外に向かって山が高くなる構図よりも外に向かって低くなる構図の方が自然だと私は思います。
同時に水流が左隻に移ると水の流れが右に行かずに止まってしまい、おかしくなると思いまする
また谷折り、山折りの件ですが、今回北斎の雲竜図を見た時に、谷折り、山折りの大切さを知りました。
北斎の雲竜図は右隻から見ないと迫力がまったく違うことに気が付きました。左隻から見ると、龍の目が谷折りなのでまったく見えません。右隻からだと左隻の龍の目が鋭く迫力をもって見ることが出来ますが、左隻側からみると右隻の龍の目がみえませんでした。
そうやって見ると、左右の違いに目を費やすことは、とてもだいせつなことですね。
さて、抱一の試み、確かにどこかで無理が生じたのでしょうか。
ご指摘のお話、これはどこかで専門の方に聞くのがいいのかな、と感じました。