本日の読書は、読みかけの「詞花和歌集」(工藤重矩校注、岩波文庫)の巻第五「賀」と第六「別」、および解説の一部。
「賀」というのは私たちの視点からするとはっきり言ってつまらない。当時の人々にとっては重要な意味があると思われるが、それは私たちにはわからない。表現の必然性がわからないからである。呪的な表現も含めて、考えが及ばない。
しかし「別」は現代のわれわれの感性に従って読むことができる。ただしそれは当時の宮廷人、政治に携わる人々の思いとはかけ離れている。それでも現代の感性で感興を催してもとがめられることはないであろう。
例えば、優れた歌とは思わないが、
もの申しける女の、斎宮の下り侍りけるに供にまかりけるに、いひつかはしける
★帰りこむほどをばしらずかなしきは夜を長月の別れなりけり 藤原通経
当時のしきたりや斎宮の供の役割の重みや、斎宮という観念の強さは私には実感できない。だから、通っていた女性が男性と別れて斎宮に付き従う、ということに理解は及ばない。双方に「別れる」という意思があったわけではない。
しかし私たちはそこまでは思わなくとも、一般的に、やむを得ない長い別れの悲しみとして普遍的に解釈することは可能である。その余韻に浸ることはできる。それが、現代のメロドラマ風(といっては失礼かもしれないが)甘い別れの風情であろうと、自分の体験に即して思い入れができる。
そのような勝手読みをしながら、読むのもまた楽しい。解説を読みながら読む視点を修正すれば、それもまた楽しい。