Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書4月号」から その3

2020年04月01日 17時14分28秒 | 読書

 引続き覚書として。

・一本の道         辻山良雄

・泥の歴史学        藤原辰史
「『ナウシカ考』の中で、赤坂さんは、マンガ版『風の谷のナウシカ』で変奏して描かれる「子どもの死」に注目し、そこに満州国の崩壊とともに親族を喪い、集団自決を決行した母親や子どもを重ね合わせておられますね。このあたりの赤坂さんの筆致は、鬼気迫るものがありました。山形県の満蒙開拓団の生存者から聞き取られた内容を想起しておられますが、これもやはり、歴史の屑ひろいとして正しい作業であると私は感じざるを得ませんでした。
 ヴェルダンの戦地では、若者の亡骸が、打ち捨てられた誰かの腕や鼻や指や耳と一緒に泥の中に埋もれていました。震災後の泥の中にくさんの瓦礫と亡骸があったことも、苦しいですか、認めざるを得ません。歴史というタペストリーが、そんな泥の中でしか織れないことを、現在の歴史家たちはどうして忘れようとしているのでしょうか。」

・鼈甲は眼で舐めろ     橋本麻里

・誰も自分の死をしらない  長谷川櫂
「(癌のペット検査を受けるとき)薄明るい空間で寝椅子に横になっているとき、映画(「家族の肖像」(ルキーノ・ヴィスコンティ監督、1974年))の最後の場面、白いヴェールで顔を隠した死神の姿を思い出した。なぜ顔が見えないのだろう。そうだ、人は自分の死を知らないのだ。死神といえばヨーロッパ中世には馬に乗って大鎌を振りかざす骸骨の絵もあるが、そんな怖ろしいものではなく、甘く美しい女性かもしれないではないか。」
「この国の人々は大昔から恋に身を焦がしてきた。人間を翻弄する性の欲望を素直に肯定し、罰当たりなことにも人目をはばかることに果敢に挑んできた。‥一方、愛となると日本人ほど疎い人々も少ない。友愛・博愛・愛国・愛車・人類愛・家族愛・夫婦愛でさえどこかかしこまって、やけによそよそしい。何やら人におしつけられている感じがする。」
「日本には愛が存在しなかった。それがわかるのは「こい」は訓なのに「アイ」は音だからである。「こい」という言葉は漢字が伝わる前から大和言葉としてあったが、「アイ」は漢字の愛の音として中国からはじめて伝わった。愛という言葉がなかったということは愛という言葉で表す愛という実体もまたなかったということである。王朝中世の歌人たちがあれほど恋に執したのに、愛が一度も歌に詠まれなかったのはその一例にすぎない。古代のこの欠落が長く尾を引いて日本人はいまだに愛の意味がよくわからないのではないか。」
「漢字は雄弁である。ある植物の名前が訓か音か、大和言葉か中国語かで日本の自生種が中国からの渡来種がわかる。‥「キク」や「ボタン」は菊、牡丹という漢字の音だから、どちらも中国から渡来したことがわかる。」
「死という感じが伝わる以前の日本人は死を知らなかったことになる。もちろん日本人も死ぬ。しかし死という現象を漢字の死が表しているようなものとしては理解していなかったのではないか。漢字の死に相当する大和言葉には「なくなる」「ゆく」「みまかる」がある。しかしこれらの大和言葉には漢字の死にある厳粛な断絶の響きがない。あくまである場所から別の場所へのゆるやかな移動である。古代の日本人は漢字の死のようには死ななかった。」


・エロとグロの後にくるもの(2)    山室信一
「エロ・グロ・ナンセンスは、日本的モダニズムの軽佻浮薄さの現れと見なされてきた。確かに、それは現実逃避の享楽的風俗に終わっためんがある。だが、タブー視されるエロ・グロ・ナンセンスの中にこそ人間や事物の本日があるのではないか、という問い直しの突破口となった可能性も否定できない。」

  今月は16編中13編に目をとおした。
 



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