さて、昨日記載した『「戦後」という年号』で私は戦争責任・戦争犯罪については記載しなかった。「戦争だからお互い様」ではすまされない戦争犯罪が当事国同士で行われた。その最たるものが、日本の侵略地点での残虐行為であり、米軍の都市への無差別な絨毯爆撃であり、沖縄地上戦強行と今も続く軍事要塞化であり、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下であり、旧ソヴィエト・ロシアによる中国東北部・朝鮮半島への軍事侵攻とシベリア抑留・奴隷労働等々である。
この戦争犯罪の責任追及が不能となってしまったことは、戦後の政治が米国追随か、旧ソビエト・中国追随かという不毛な二者択一になってしまったことの悲劇でもある。憲法擁護が「革新」、憲法否定が「保守」という捻じれもまた不思議な世界である。
「戦後民主主義」とは「保守」も「革新」もその戦後の出発点の過ちを隠蔽したいという点で一致しているのではないか、というのが私が政治に関心をもった最初の出発点であった。同時に起きたチェコスロバキアへの旧ソヴィエト・ロシアを主とするワルシャワ機構軍による武力鎮圧がその思いをさらに強くした。
これらのことはこれまでも記載したし、これからも追々まとめてみたい。