本日病院で待つ間に読んだ本は「スペイン史10講」(立石博高、岩波新書)。第4講「カトリック両王の統治からスペイン君主国へ 15世紀末~16世紀」を読み終え、第5講「スペイン君主国の衰退 17世紀」の冒頭部分を読み始めた。
ちょっと気になった部分が以下の部分である。
「異端審問所の監視は、冒瀆・瀆神の言動から、姦通や重婚、魔術行為、さらに聖職者の求愛行為にまで向けられた。前近代の監視装置の効果を過大視してはならないが、異端審問性が宗教的・文化的寛容の土壌形成を拒み続けたことに疑いはない。この制度の最終的廃止はじつに1834年である。」としつつ続けて「一方で魔女狩りはスペインではほとんどなかっことに注目したい。異端審問所は魔女の宗教的認定には慎重で、人々の魔女狩りの熱狂から犠牲者が生まれることに抑止的に作用したからである。」という記述には驚いている。
専門家ではないので、異論を唱える能力はないのだが、ではいったいゴヤなどのデッサンやその評伝に現れる「異端審問所」の「熱狂」や「魔女狩り」の陰惨さについてはどう評価していいのかわからなくなる。私としてはこの筆者の表現についてはいささか疑問を持った次第である。